ふる

ふる——神の身分でありながらも私たちの元へと降った御子イエス・キリスト

協力司祭 阿部仲麻呂

●待降節の聖歌   待降節に歌われる聖歌が心に浮かびます。——「天よ、露をしたたらせ/雲よ、正義(義人)を降らせよ/大地よ、ひらいて救い主を生み/正義の花を咲かせよ/牧場におりる露のように、地を潤す雨のように、王は来る、王は来る/民に平和をもたらすために」(イザヤ45・8を根拠にした聖歌の歌詞)。

 まさに正しい人(義人)は「天からふる」者[神の元から派遣された者]です。天とは神の居場所であり、雲は神の神聖なる雰囲気を人びとに実感させる象徴です。しかも「牧場におりる露のように、王は来る」という聖歌のことばからも推測できるように、イエス・キリストは朝露のようにひそかに生まれるのであり、つまり謙虚に目立たたないベツレヘムの村の馬置き場の洞窟で神の子が人生を始めたのです。神による救いのわざは貧しい洞窟の独りの赤子から始まったのです。

そしてイエスがヨルダン川にて洗礼者ヨハネから謙虚に洗礼を受けた直後に天が開けて雲があたりをおおい、鳩のような形の聖霊がくだるとともに「これは私の愛する子、彼に聞け」という御父の声があたりに響き渡りました。常に謙虚に生きる者が神のみむねを行う救い主として他者を助けることができるのです。      

●神の身分でありながらも私たちの元へと降った御子イエス・キリストそのもの

聖歌の歌詞を想うたびに筆者は「ふる」というイメージを、神の身分でありながらも私たちの元へと降った御子イエス・キリストそのものと重ね合わせます。まことの義人としてのイエス・キリストもまた神の元から地上へとふってきた者です。聖パウロはフィリピの信徒への手紙のなかで、ローマのキリスト者たちが歌った「キリスト讃歌」(フィリピ2・6-11)をまるごと引用しましたが、その歌のなかで「キリストが神の身分でありながらも私たちの元へとおりてこられた」という文章が強調されました。身を低くして、へりくだる姿勢は、自分のことよりも相手の境遇に身を近づけて、いっしょに生きようとする愛情表現にもとづきます。

神の独り子であるイエス・キリストが神の元から地上へと「ふる」ことは、この世のどん底にうごめく私たちの元にまで積極的に近づく愛情表現そのものでした。イエスによる徹底的な「へりくだり」の姿勢は、愛ゆえの激しい突っ走りです。しかも、イエス・キリストは死者がたむろする「よみにまで降る」ほどに徹底的に相手を探し求めて助け出そうと必死に前進する者なのです。           

●へりくだる聖家族   しかも、幼いころのイエスをいのちがけで護り抜いた聖ヨセフも「義人」と呼ばれていましたが、まさに「自分を表に出さずに常にへりくだる謙虚な保護者」でした。聖母マリアもまた起きた出来事の数々を思い巡らして心に秘めており、表立って詮索するような下品な態度を断固として斥けました。イエスをめぐる聖家族は貧しい洞窟の馬置き場で家庭生活を始めましたが、まさに謙虚な人生の歩みが二千年におよぶ救いの実現をもたらしたのです。

しかし聖母マリアも聖ヨセフも勇猛果敢で世話好きなイスラエルの民の一員でした。身重の聖母マリアは120キロもの山道をものともせずに、やはり身重のエリサベトを助けに出向き、聖ヨセフもヘロデ王の魔の手から大切な家族を助け出すためにロバを駆ってエジプトまでの長旅を成し遂げたのですから。二人とも、ものすごい行動力です。イエスもまた、三年間だけの公的な活動をとおして、ものすごく積極的にあらゆる人を立ち直らせつづけました。まさに気韻生動、底力の発揮です。

●ニカイア公会議開催1700周年の記念   さて、いまから1700年前、325年にニカイア公会議が開催されました。その会議で、御父である神と御子イエス・キリストとが「同一本質」[御父と御子とが決して分かたれないほどに同じ愛の心そのものとして一体化していた]であることが確認されました。徹底的に相手の元にまでへりくだって、身を低くして、自分のいのちをあますところなく捧げ尽くして他者を活かす愛を生き抜く御父と御子とは、ひとつながりの志そのものとして決して切り離せません。その秘義は特に一世紀末に成立したヨハネ福音書であかしされていましたが、325年に至って教会共同体の公の立場として認定されたわけです。——「私[イエス]は自分勝手に語ったのではなく、私をおつかわしになった父ご自身が、私の言うべきこと、また語るべきことを、お命じになったからである」(ヨハネ12・49)。 

(教会報「コムニオ」1・2月号)

LINEで送る