2.聖書にもとづく「聖年」の意味

⑴旧約聖書

まず旧約聖書について述べましょう。レビ記25・1-55に「安息の年」「ヨベルの年」と呼ばれ(エゼキエル46・17では「解放の年」とされている)、50年ごとに祝われる神の慈悲の一年に関する規定が記されています。

この聖書箇所は、実行に移せるかどうかあるいは実行に移されたかの議論は別としても、「イスラエル民族の社会正義の理想的な原理」となっていることだけは確かです(最近の聖書学研究では、イスラエルの民が背伸びして理想論を掲げたと論じます)。

この年は、「負債の免除」、②「土地の休耕」、③「貧しい者への土地解放」、④「土地売買解消」(売却された土地の返却)、⑤「奴隷の解放」を実行に移すひとときでした(レビ記25・8-55)50年に及ぶ人間の身勝手な格差を見直すためです。

なお、「ヨベル」とは「雄羊の角をくりぬいて作った笛」のことであり、神の慈悲の実現を願う一年の開幕と終幕の儀式の際に高らかに吹き鳴らしたものです。 ここでイスラエルの民におけるレビ記について詳しく述べておきます。レビ記はイスラエルにおける神とのつながりを徹底して生きるための規則を細かく記録しています、旧約聖書の律法の立場では、創造主による天地創造が6日間で終わり、その翌日の7日目を「安息日」と規定することが定められていました。そして「聖年」は、6年の労働の後、7年目を安息の一年とするように定めた「安息年」を由来として定められました。つまりユダヤ教の暦では、7年ごとに「シュミータ」と呼ばれる「安息年」が定められています。そして「安息年」を7回繰り返した翌年に、旧約聖書レビ記25章にもとづいて50年に一度の「大恩赦の年」(ヨベルの年)を迎えることが定められました。つまり7年の7倍で49年であり、その翌年の50年目を「ヨベルの年」として荘厳に祝ったのです。

⑵新約聖書

次に新約聖書について述べましょう。イエス・キリストは会堂にてイザヤ書の巻物(イザヤ61・1-2)を手に取って読み上げ、「主の恵みの年を告げ知らせて」御自身の宣教活動を開始しました(ルカ4・16-30)。——「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を伝えるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、囚われ人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ知らせ、抑圧されている人に自由を与え、主の恵みの年を告げ知らせるためである」(ルカ4・18-19)。

こうして、イエス・キリストこそは「神の慈愛深いおとりはからい」(神による王としての支えと配慮=神の王的支配=神の国)を実現させる使命観あふれる活動を展開させた救い主であり、まさに「主の恵みの年」を宣言して神の愛を社会に根づかせる活動が開始されたのです。 イエス・キリストの登場こそが、神の慈愛に満ちた恵みの日々を実現させる聖なる時期の到来そのものとして、歴史的な価値を備えており、イエス・キリストの働きは奴隷状態のあらゆる人びとを解放する救いのわざだったのです。