今日は、受難の主日です。いよいよ今日から聖週間となります。この「受難の主日」は、日本では「枝の主日」として定着していますが、それはキリストが受難に先立ちエルサレムへ入場した際、民衆が枝をかざして、歓迎したことを記念するからです。けれども実際は、ミサ入堂の最初の部分でしか枝は使われず、歓迎する部分は短いです。ですから、海外では「受難の主日」の方が定着しています。
日本で定着している「枝の主日」の枝について考えてみますと、キリストがエルサレムへ入場する際に使われた枝は、ヨハネ福音書では、やはり歓迎のしるしとし、それが「ナツメヤシ」であったことを記していますが、日本では、「棕櫚の枝」とか「オリーブの枝」という言い方が多いようです。それは日本のカトリック聖歌では、枝の主日の入堂の際に「棕櫚の枝を手に持って」と歌います。また典礼聖歌では「オリーブの枝を手に持って」と歌うからです。
では実際はどんな植物の枝が使われていたのでしょうか。それは明確にわかっていないようです。そのために典礼の規定では、「常緑樹」であれば何でも良いそうです。ですから、国によって使用されている枝はそれぞれ違うでしょう。
日本ではナツメヤシも、棕櫚も、オリーブもあまり栽培されていませんので、教会でそれを集めるのは難しいので、似たような植物として「ソテツ」が使用されています。
都筑教会では、これまで所属信徒の方の善意で家の庭にあるソテツを切りに行ってそれを頂いて、使用していましたが、昨年、教会の庭にソテツを植え、自前で確保していこうと考え、今年に入って、だいぶ成長して使えるようになったので、今日の枝の主日ではそれを使います。
この枝は、ミサ後、それぞれに持ち帰ってもらいますが、勘違いしないでほしいのは、家に保管することで、「魔除けになる」とか、「恵みがある」ためではありません。もちろんミサの中で司祭が聖水によって祝福しますが、単に枝だけを持ち帰ることが大事ではなく、むしろミサに参加して、枝をかざして、歓迎する心をもつことが大事です。
ですから、イエスを歓迎した民衆のように心変わりせずに、つねに自分のうちにイエスを喜んで迎え、イエスを救い主として信じる信仰を持ち続けていくように致しましょう。
参照「カトリック成城教会:宣教(何の枝)山本量太郎」
主任司祭 西本裕二