Riposa in pace, Papa Franccesco

教皇フランシスコ、安らかにお眠りください。

教皇フランシスコ

教皇フランシスコは、ローマ時間4月21日午前7時35分、復活祭の翌日に88年にわたる人生の旅路を終え、御父の元へと旅立たれました。1936年にホルヘ・マリオ・ベルゴリオとしてアルゼンチンで誕生された教皇フランシスコは、1969年、司祭に叙階されました。1998年には、ヨハネ・パウロ二世から大司教に、2001年枢機卿に任命されました。2013年、ベネディクト十六世の生前退位を受けて行われたコンクラーベにおいて第266代教皇に選出され教皇フランシスコを名乗ることとなりました。初めての中南米出身であり、イエズス会員としても初めての教皇でした。バチカン広場の群衆の前に初めて現れた時、恒例のラテン語の祝福ではなく、平易なイタリア語で「皆さんこんばんは」と語りかけ、聴衆に大きな歓声で迎えられたことは、その後の活躍を象徴する出来事でした。

教皇フランシスコは、アルゼンチンで移民の子として生まれ、貧しい人々の暮らす地域で長く活動し、自らも質素な暮らしを貫き通しました。教皇となってもバチカン宮殿の公邸には住まず、働く聖職者のための宿舎サンタ・マルタ館を居住地に選びました。外訪でも刑務所や難民キャンプを訪ね、弱者に寄り添い耳を傾けました。聖職者の虐待に関する問題も率直に追及し、女性の地位向上にも取り組まれました。就任からほどなくして、アメリカのオバマ大統領と社会主義体制にありながら教会が影響力を持つキューバのカストロ首相との仲を取り持ち、半世紀ぶりの国交回復にも尽力しました。2015年には、国連総会で「持続可能な開発目標」が採択される場にも立ち会います。大学で化学を専攻していたこともあり、環境問題への深い関心を示し、長崎と広島を訪れた際は核廃絶への強い信念をうかがわせました。核兵器禁止条約にはどの国よりも早くバチカンが署名批准を果たしています。ロシアとウクライナ、パレスチナのガザにおけるイスラエルとハマスの争いについても非人道的な戦争を非難し、停戦を訴えてきました。トランプ政権についても「壁を築き橋を懸けないものはキリスト教徒とはいえない」と批判しています。宗教指導者という立場を超えて国際社会で活躍なさった生涯でした。

4月26日サン・ピエトロ広場で葬儀ミサが執り行われ、各国の首脳、王族、聖職者などが参列しました。教皇庁は広場と周辺に40万人の人々が集まったと発表しています。歴代教皇の多くはバチカンのサン・ピエトロ大聖堂地下に埋葬されていますが、教皇フランシスコはローマ市内の庶民的な地区にあるサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂への埋葬を希望しました。沿道には15万人もの市民の「パーパありがとう!」と言う声があふれていました。教皇フランシスコの魂が永遠の安らぎを得られますようお祈り申し上げます。

文責:斎藤菜穂子