教会は6月11日、聖バルナバ使徒を記念します。バルナバは、12使徒以外(マチアを含めて)で、パウロと共に「使徒」と呼ばれた人物です。使徒マチアは、イエスを裏切ったイスカリオテのユダの代わりとして正式に使徒に任命されました。それにパウロは、直接キリストによって天から声をかけられ選ばれた者として使徒と呼ばれるのは分かります。けれどもバルナバは、誰かの代わりやキリストから使徒として任命されたわけではありません。では、なぜバルナバは、「使徒」と呼ばれたのでしょうか。それは彼が使徒たちに匹敵する働きをされたからです。

バルナバは、持っていた財産を貧しい人々に分け与えるために、使徒たちに差し出しました(使徒言行録4.36)。もちろん当時、このような信者は他にもいたと思われますが、バルナバの名前だけが出ているのは、彼が特別に寛大な心で財産を提供したからでしょう。これはバルナバが寛大な心でつねに人を助けていたという証しでもあるように思います。またパウロが教会の迫害者から回心してエルサレムに行ったとき、信者たちはみなパウロを疑って受け入れませんでした。ところがバルナバだけはパウロを信じて、使徒たちのところに連れて行き、仲介したおかげでパウロは、教会に受け入れられたのです(使徒言行録9.26)。おそらくバルナバは、キリストのように、罪人であっても愛の心をもって受け入れていたのではないでしょうか。

それにアンチオキアの教会に信者たちが増えてきて、新しい信者たちを指導する人物として、使徒たちはバルナバを派遣しています(使徒言行録11.21)。その上、使徒言行録の続きに「彼は立派な人物で聖霊と信仰に満ちていた」とあるように、それほどバルナバは、他の使徒たちや仲間たちから厚い信頼を持たれていたと考えられます。さらにバルナバは、パウロと共に宣教旅行に出て、ルステラという今のトルコの町に行ったとき、キリストが使徒たちに与えた同じ権能を使って、生まれつき足の悪い人を治しています(使徒言行録14.8)このようにバルナバは、深い信仰と素晴らしい人間性をもって、宣教活動に専念し、大きな働きをされたので、「使徒」としてふさわしい人物であったのでしょう。

私たちも聖バルナバ使徒の生き方を模範として、行いと言葉をもって、キリストを証ししていくように致しましょう。

参照「C.バリョヌエボ著:ミサ前に読む聖人伝(サンパウロ)」

主任司祭 西本裕二