天寿

聖アロイジオ・ゴンザガ

教会は6月21日、聖アロイジオ・ゴンザガ修道者を記念します。アロイジオは、イタリアのカスチリオネの侯爵の長男として生まれました。父親の望みで軍人になるはずでしたが、彼は当時の社会の不道徳を嫌い、修道者になる決心をします。ところが父親の反対に合い、9歳の時にフィレンツェのメディチ家に預けられ、その後、マドリッドのフィリポ2世に3年間仕えました。しかし修道者になるというアロイジオの固い決心は変わらず、長い年月がかかりましたが、ついに父親も認め、イエズス会に入会しました。
アロイジオは、自分自身に厳しく、信仰を深めることに努め、目上が派遣するどんなところでも忠実に働きました。ローマにペストが流行したときに、献身的に病人の看護にあたっていましたが、自らもペストに感染し、24歳という若さで亡くなっています。

サレジオ会に関連のある聖ドメニコ・サヴィオも15歳という若さで亡くなっていますが、聖アロイジオのように、人生を一生懸命に生き、神を求め続けた点で似ていることから、彼は「もう一人の聖アロイジオ」と呼ばれています。
二人の若い信仰者は、共に短い人生でしたが、決して残念な生涯であったとか、不幸な生涯であったとは言えないでしょう。それは人生、どれだけ長く生きたかどうかで、その人の幸せの尺度が決まるわけではないからです。むしろ彼らは、後悔することなく、人生を走り抜いた若者たちと言えるでしょう。

現代は人生100年時代と言われ、80歳を越えて活躍している方は世の中に大勢います。しかし私は司祭として、よく葬儀にかかわりますが、ご高齢の方が亡くなると、必ずと言っていいほど、「大往生」という言葉を耳にします。
長生きすることが、本当に大往生なのでしょうか。このように言われるのは、長寿=大往生というイメージを持つ方が多いからだと思います。では大往生とは何でしょうか。長生きされた人が病気や事故ではなく、老衰や自然死で苦しまずに心穏やかに亡くなったとしてもそれは「天寿を全う」したかもしれませんが、大往生ではないように思います。
与えられた命をどう生きるかが大事ではないでしょうか。二人の若い聖人たちの生き方から教えられるものがあります。それは一つが、「日々の勤めを精一杯に果して生きること」です。そしてもう一つが、「神への信仰をもって生きること」です。

まさに使徒パウロの「決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました」(2テモテ4.7)という言葉があてはまります。
このように生きるならば、豊かな人生を送り、希望のうちに歩んでいけると思います。私たちもこのような生き方を目指し、人生を歩んでいけたら、人からだけでなく、神からも「大往生」であったと思われるような幸いな生き方ができるのではないでしょうか。

引用:「LAUDATE聖人カレンダー(聖アロイジオ・ゴンザガ修道士)」

主任司祭 西本裕二