夏のドン・ボスコ会主催納涼会は80名近い方が参加しとても盛況でした。開会の乾杯はこの春受洗なさった原さんがなさいました。急な指名でびっくりなさったそうですが、そこは新聞記者としてならしたジャーナリストの原さん、次のような小話を紹介してくださいました。
“ローマの迫害時代、コロッセオで飢えたライオンを放って、キリスト者を食いちぎるという残忍な刑がありました。あるとき、飢えたライオンが飛びかかろうとしたとき、その信徒はライオンの耳元で何かを囁きました。するとそのライオンはすごすご離れたそうです。何が起こったのか不思議に思った皇帝はそのキリスト者に尋ねたそうです。「お前はライオンに何と言ったのか。教えてくれれば解放してやる」信徒は答えました。「私を食べたら、その後でスピーチを頼まれるぞ」と。”
スピーチは誰にとっても苦手なものという例えの小話ですが、原さんから他にも興味深いエピソードを伺いましたので、ご紹介しましょう。
- 原さんが朝日新聞の記者として活躍なさっていた頃、米国のある女性団体から講演を頼まれたそうです。その時、日本で話題になっていた、定年後のご主人のことを奥さんたちが〈濡れ落ち葉(Wet Dead Leaf)〉と表現している話を紹介したところ、ご婦人たちに大いに受けたそうです。
- 昨日はすごい雨と雷で多摩川の花火大会は中止になりましたね、という話題では、ドイツでは雷や雹の降り方は半端ではない。だから“ジャジャジャジャーン”というベートベンの交響曲が生まれるんですよ。昔の日本の梅雨の“シトシト”からは交響曲は生まれないと思います。
今でもNew York Timesなどの欧米の新聞・雑誌に目を通すのが日課とおっしゃる原さんの該博な知識は実に興味深いものがありました。私にとって、“雷と雹”で思い出すのは、500年前、あのマルティン・ルターが実家からエルフルト大学へ戻る途中、シュトッテルンハイムの草原で激しい雷雨に遭遇。そのときルターは「聖アンナ様、お助け下さい。命が助かれば、私は修道士になります」と願掛けをし、父親の猛反対を押し切って、エルフルトの厳律アグステイヌス会に入会したエピソードです。
主任司祭 松尾 貢