助任司祭 土屋 茂明
6月24日、洗礼者聖ヨハネの祝日はドン・ボスコの霊名のお祝い日でした。
お祝いのパーティが行われ、生徒たちは父ドン・ボスコへの愛情を、演奏や歌で精一杯表したのでした。ドン・ボスコはそのお返しに言いました。「みんな、欲しいものを書きなさい。できるだけ、かなえてあげよう。」生徒たちは思い思いに願いごとを書きました。ドメニコのカードには「僕が聖人になれるように助けて下さい。」とありました。
ドン・ボスコはドメニコを呼んで、次のような勧めをしたのです。
- いつも喜びを保ち、朗らかでいること。
- 勉強と信心の努めを熱心に果たすこと。
- 皆に親切にし、友だちを助けること。
ドメニコはひとつひとつを実行していきました。
ドン・ボスコ著の「ドメニコ・サヴィオ伝」には、少年が毎土曜日、聖母を讃えるために、パンと水だけで過ごそうとしたり、四旬節の断食をしようとしたり、冬に夏の夜具で寝たりと、いろいろ苦行を試みたことを記しています。もちろん、ドン・ボスコはそれらをすべて禁じました。「日常の生活から来る辛いことや、暑さや寒さなどを喜んで受け入れ、神様に捧げればそれで充分です。」と教えました。
日常の聖性、サレジオのフランシスコの教えであり、それを受け継いだドン・ボスコの霊性でもあります。
今、四旬節ですが、しばしば四旬節を、断食とか苦行などの重苦しい期間として捉えてきた傾向がありました。実は復活祭の喜びに向けられた40日なのです。
故中垣純神父の言葉を思い出します。古来、回心に励む四旬節のことを40日の霊的戦いとか、償いの時期とか呼ぶ習わしがあり、そこには他の時期と比べて、厳しさのあることは確かです。しかし、四旬節は、何よりもその目標からして「徹頭徹尾、内面的な喜びに向けられる」(聖アウグスチヌス)ことを思い起こしたいものです。
ミサ典書には、四旬節の叙唱が九つ用意されています。第一の叙唱「四旬節の精神」は、「あなたは、信じる人びとが復活の神秘を喜びのうちに待ち望み、年ごとに心を清めて迎えるよう導かれます。……」と祈ります
「祈り」「愛のわざ」「節制」「心のおごりを捨て」「思いあがりを捨て」「悪い習慣を改め」など、他の四旬節の叙唱はこの期間における心構え、行動目標を指し示しています。
大切なのは、ドン・ボスコがドメニコに勧めたように、常に喜び、晴れやかさを保ちながら、それらを実行していくことです。
ちょうど、灰の水曜日の福音(マタイ6章1~8、16~18節)は、「施し」も「祈り」も「断食」も、さりげなく、明るく、偽善者のようにではなく、行いなさいと教えています。そして快くすすんで行った「節制の実り」が、四旬節「愛の運動」献金となるなら、素晴らしいことです。カリタスジャパンの『2004「ひびき」』もしっかり読み取り、応えていきたいものです。