第2ヴァチカン公会議は、聖母マリアの項で次のように述べています。「原罪のいかなる汚れにも染まずに守られていた汚れない処女は、地上の生活の道程を終えて、肉身と霊魂ともども天の栄光に引き上げられ、そして主から、すべてのものの女王として高められた。」(「教会憲章」59)
このことばからもわかるように、聖母マリアは地上の生涯を終えられた後、受けた種々の特権の最高の完了として肉体の腐敗をまぬかれ天国に移されたこと、次いで、そこにおいて女王として罪と死の征服者である御子イエス・キリストとともに輝き、その使命を継続されておられるという神のすばらしいご計画をたたえるのです。
「聖母被昇天の教義」は、教皇ピオ12世によって1950年11月1日、全世界に布告決定されました。教会の歴史から見るとこの決定はごく最近のことのように思われますが、この信仰は古く「神の母」と決定されたことによる恵みのうちに含まれているものです。教会はすでにこの教義決定以前の幾世紀にもわたってこの教義を受け入れ、その祝日を祝っていました。日本へ最初に福音を伝えた聖フランシスコ・ザビエルは、日本からの最初の手紙において「神は私たちがあこがれていたこの地に導きくださり、1549年8月、聖母の祝日(15日)に鹿児島に到着しました」(「聖フランシスコ・ザビエル全書間」第90-11)と報告しています。神様のご計画は、日本において聖母の祝日に福音宣教の始まることを望まれたことを考えると、私たちの信仰の始まりにすでに聖母の保護のあったことが感じさせられます。
信仰の揺籃期に思いを馳せるとき、そのよき思い出を持つことはどれだけ私たちを支えてくれることでしょうか。この経験を多くの方は持っておられることでしょう。福者ヨハネ23世教皇は、ピオ12世の記念すべき教義決定の式典に聖ペトロ広場で列席できた幸いを思い起こしながら、幼い日々に生まれ故郷の教会にあった「聖母被昇天」の二つの像を懐かしみ、そのもとで祈るのが好きであったと述べています。(「魂の日記」353ページ)
聖母被昇天の祝日は、私たち一人ひとりの信仰のはじまりを新たに思い起こさせるとともに、神の方に上られたマリア様を仰ぎ見るように勧めています。この世の幸せのみを追求する状況からかもし出される不安の蔓延のなかで、天のふるさとへの思いと、そこで働かれる平和の元后をたたえながら、信仰の歩みを力強く続けたいと思います。