私が神学校で養成を受けていた時代には、年間の諸大祝日前に、3日間とか9日間の霊的準備の日々を過ごし、心を浄めながらその日を迎えるようになっていました。しかし、霊的準備や典礼の準備のほかにも祝日には外的行事も多く組み込まれ、その準備や参加もサレジオ会員としての養成に重要な役割を果たしていました。祝日のための清掃、飾りつけ、場を盛り上げるための展示物、祝賀会のスピーチ、コーラス、出し物、寸劇、時には2時間にも及ぶ演劇など、数少ない神学生が総出で分担しながら取り組み、よりよい祝日を迎えるように演出しながら神学院生活に色を添えていました。

この体験は、哲学、神学の勉学という養成課程における本質的なものとは別に、多くの体験と出会いを与え、サレジオ会員としての各自の能力を遺憾なく発揮する素地を作ってくれていました。そのようなときに先輩から若い私たちに与えられる忠告が「祝い日の悪魔に気をつけよ」ということでした。

勉学に追われながらの短期間での準備は、よほど準備態勢とチームワークをうまく積み上げていかねば、どこかに問題やひび割れが生じてきます。協力体制にあまり関心を示そうとしない人、委ねられたことを十分にこなしてくれない人、本当に歯をかんでやってくれているのかと疑いたくなる人、幾人かの肩にかかっている仕事の過重を見ても積極的に手助けしようと考え付かない人などが必ずいます。熱心にしかも中心的にやっていこうとする人にとっては、とても目障りである上に、腹の立つことこの上なしです。そこで文句や不平が出ます。いらぬ争論にも至ります。せっかくの祝い日なのだから、それは避けたいなと思いつつも、人間的弱さが出てきます。これに心がけるのが、「祝い日の悪魔が出そうだぞ」と予防することです。

今、私たちは教会の大切な行事である「秋の教会バザー」に向かって準備を進めようとしています。私たちの目指しているバザーの第一の目的が、「教会信徒全員の親睦と交わり」にあります。常日頃、あまり深く交わることの出来ない方々と教会バザーを通じて話し合いや連携などによって、神の民として一致して前進するために理解と交わりを深めていくことです。そのためいろいろな協力が要請されることでしょう、時には時間を割くこと、体を張って力を出すこと、知恵を搾り出してよりよいアイディアに作り上げること、そして祈りと犠牲で支えあうことなどが求められます。

大切な教会バザーを通じて私たち個人と教会がもっと神に近づき、神と人を愛していくことが出来るよう「祝い日の悪魔」の台頭に気をつけ、まして「祝い日の悪魔」を招く姿勢を避けて、所期の目的を達成したいものです。

主任司祭 小坂正一郎

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