堅信への道(No.3)「按手について」

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「堅信の秘蹟」の秘蹟の中で、「按手」があります。これは「洗礼・堅信・赦しの秘蹟 ・叙階・病者の塗油」にみられます。またミサ中の聖別の前に、司祭はパンとブドウ酒の上に按手し聖霊に祈ります(エピクレーシス)。また赦しの秘蹟では「罪の赦しの言葉」を唱える司祭は「赦しを求める人の上に両手または右手を延べて言います」と儀式書には書かれています。日本では「手当て・手かざし」に相当するもので、人や物の上に手を置いて「恩恵・権能・義務・祝福」などを伝達する行為です。

旧約では、モーセから知恵の霊を授かったヨシュアへの按手(申34:9)、焼き尽くす捧げ物への按手(レビ1:4)など、子供の祝福、司祭の聖別、いけにえ奉献の時に行われました。イエス様も、人々たちが「幼子たちを連れてきて、イエスに手を触れていただこうとして、弟子が引きとめようとしたとき、弟子たちを押しとどめ、「幼子たちを抱き、彼らの上に両手を置いて祝福された」(マルコ10:16)のでした。また「さまざまな病人をかかえている人々が、その病人たちをイエスのもとに連れてきたので、イエスは一人ひとりの上に手を置いて、癒された」(ルカ5:41)のです。御昇天の直前「全世界に行き、すべてのものに福音を宣べ伝えなさい。……信じる者が病人に手を置けば、その病人は回復する」と弟子たちに言われ、宣教の使命とそれに伴う信じる者のしるしと力を授けられました。パウロは「熱病で苦しむポプリオの父を、祈りと按手」(使徒28:9)で癒している。

初代教会にあっては、「病者・改心者・受洗者」に対して聖霊の強い働きのしるしであるだけでなく、「教会の職制・司祭職」に関するものとして重要視されています。使徒行録6章のステファノたち七人の助祭の叙階式やパウロの第一回伝道旅行の前に、聖霊が「私が言いつけた仕事を果たすために、パルナバとパウロを私の者として聖別しなさい」と仰せになり、「彼らは、断食とお祈りをして、二人の上に手を置いてから、送りだした」(使徒13:2)のです。

上智大学の土屋教授は「堅信式における按手は、キリスト者としてキリストの祭司職、王職、預言職にあずかり、王的祭司の民の一員となったことの自覚にもとずく使命の授与と派遣を意味している」と新カトリック大辞典の中でしるします。

主任司祭 田中次生

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