高校を卒業して、修練・哲学・神学と9年間調布の神学院で生活しました。その当時は合わせて50名ほどの若い人たちで、熱気溢れる神学院でした。チマッチ神父様が院長で、外国からの神学生も多く、修練・哲学・神学院の対抗スポーツ大会なども開催され、広いサッカー場をどのグループが使うかで、毎日ケンカしながらも、叙階式のお祝い、ドン・ボスコの祝日の劇、院長の霊名、野尻湖合宿等年間の行事も多く楽しい日々でした。
それ以外に年間行事の中で私が好きな行事がありました。それはグランド一杯を使ってするすぐ近くの「星美幼稚園」の運動会でした。幼稚園児が行う演技が上手に出来れば、それはそれで楽しめるし、園児が、こちらの期待に沿って「奇想天外」なことをすれば、神学生たちみなで楽しめました。本番時だけでなく、全日を使う予行練習、年令ごとの練習と、秋になると神学院の神聖(?)なグランドは、園児用の音楽が溢れるのでした。
幼稚園児ですから、入場の時の音楽、退場の時の音楽と決めており、その音楽が流れると、子供達が足踏みし、両手を振って行進の体制に入るのでした。それを見ながら私たちは、「やっぱり子供だなぁー、心理学の“条件反射”にまんまとひっかかっている」と言って笑うのでした。
ある日の午後でした。私はグランドに面した神学院の廊下を歩いていました。途中で自分が聞きなれている「退場用の行進曲」に合わせて、多少両手を振って(でないと、シスターから“もっと元気良く! 両手を振って!”と叱られてしまうのです……)歩いているのに、気がつきました。思わず自分で苦笑してしまいました。私たち神学生も、幼稚園児と同じく“形”の影響を受けてしまったのです。
幼稚園では、“しつけ”のため、この“形”を大切にします。御祈りの時は、御祈りの形から始めます。“御祈りしますよ!!”と言えば子供達は、身仕舞を正し、キチンと手を合わせます。「大切なのは“形より心”ですが、同時に“形が心を作る”ことも確かなことです。心がいうことを聞かない時は“形”からはいるのも一つの道です。