挨拶について考える時いつも思い起こすのは、作家の三浦綾子さんのことです。彼女は病気になる前の若いころ、何年か小学校の先生をされたことがありました。その時のことをある本に書いています。終戦直後の小学校ですから、低学年であれば、ほとんど担任の先生が授業を担当することになります。その分だけ子供たちに声をかける機会が沢山あります。

彼女は、夜寝る前にその一日のことを反省する習慣がありました。クラスの出席簿を広げて、どの子に何処で声を掛けたか、チェックすることもその中に含まれていました。級長とか風邪気味で気をつけなければいけない子とかは、間違いなく声を掛けていますが、そのうらに「今日は一度も声を掛けていない子供」が1人とか、2人とかが必ずリストアップされました。三浦先生は、漏れてしまった子供たちには、次の日には、いの一番に声を掛ける努力をしたというのです。

「○○ちゃん、そこの窓を開けて!」「どうも有難う」の短い会話でもよいし、「おはよう!○○ちゃんお元気!」「○○ちゃんさようなら! お母さんによろしくね!」でもなんでもいいのです。とにかく声を掛ける……

この記事を読んで、三浦先生のクラスの子供たちは本当に幸せだなぁと思いました。たった一言の挨拶だけでも、子供たちの一人一人を大切にしたいという担任の先生の気持ちは、充分に子供たちに伝わります。三浦先生の心の部屋に一人一人の子供たちが、いつでも座ることができる自分のイスを持っていると感じたことでしょう。

私も、教師を長く続けてきました。担任も何年間かしました。教科担当制の高校で、クラスの人数が多いということもあって、なかなか全員に声を掛けたりすることはできませんでしたが、気持ちとしては、一人一人の生徒に挨拶を含めて、一日一回は「声を掛ける」ことを努力してきました。「“挨拶”という“かたち”」に、三浦先生が一生懸命に、“こころ”を添える努力したように、自分もしたいと思ったからです。

主任司祭 田中次生
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