司祭年にあたって(No.9)「信徒司祭職」

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聖書は言います。「神は唯一であり、神と人との間の仲介者もまた、人であるキリスト・イエスただ一人です。」(Ⅰテモテ2・5)また、キリストは「メルキセデクと同じような大祭司」(ヘブライ5・10)であり、「聖であり、罪なく、汚れなく」(ヘブライ7・26)、しかも「唯一のささげものによって」、すなわち、十字架上の唯一のいけにえによって、「聖なるものとされた人達を永遠に完全なものとなさった」(ヘブライ10・14)方です。

このキリストの唯一の祭司職への参加は、二通りの方法で行われます。
第二バチカン公会議は、「洗礼を受けたものは、再生と聖霊の塗油とによって、霊的な家および聖なる司祭職となるように聖別される。それは彼らがキリスト信者のあらゆる業を通して霊的供え物を捧げ、やみから自分を感嘆すべき光へと彼らを呼んだ者の力を告げるものとなるためである。」と教会憲章(No.10)で主張しました。すなわち、洗礼を受けることによって私たちは、御父の養子(ロ-マ9・4)、キリストの神秘体の肢体(Ⅰコリント6・15)、聖霊の神殿(Ⅰコリント3・17)になります。聖ペトロは「あなたがたは選ばれた民族、王室、祭司団、聖なる国民、そして神のものとなったのであります。」(Ⅰペテロ2・9)と言い、黙示録は「私たちを愛し、おん血によってわたしたちを罪から解き放ち、また、わたしたちを王とし、ご自分の父であり神である方に仕える祭司としてくださった方に、栄光と力とが世々限りなくありますように」と「信徒の共通司祭職」を制定して下さったイエスさまに感謝しているのです。

だから私たち信徒は、もう少しこの「信者の共通司祭職」を生活の中で意識しないといけないでしょう。「信者は自分の持つ王的司祭職の力によって、聖体の奉献に参加し、また諸秘蹟を受けること、いのり、感謝、聖なる生活による証明、自己放棄、行動的愛をもって、この王的司祭職を行使する。」(教会憲章No.10)と公会議は、私たち信徒をうながします。

主任司祭 田中次生


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