先週は山野内アンヘル公司師を迎えて、心温まるお話をたくさん聞くことができました。本当に恵みの時であったと思います。
リーマンショック後の経済危機の下、たくさんの日系ブラジル人、ペルー人がリストラされ、苦しい状況におかれた中で、いいこともたくさんあった。その例として神父様はいくつかの事例を挙げられました。

  1. 皆が家庭、家族をもっと大切にするようになった。
  2. 皆が教会共同体をもっと大事にし、頼るようになった。
  3. 共同体における隣人愛をもっと実践できる寛大さが見られた。

ある家族は、家賃が払えずにアパートから追い出された家族を、1日だけでない、ひと月だけでない、1年以上も自分の狭いアパートに住まわせたケースもあった、というお話もありました。

そしてこの浜松プロジェクトに携わる召命のために自分の今までの人生はあったのだ、鷺沼での10年間の司祭生活もそのための準備の時であった、ということを強く実感しているという確信に満ちた言葉は実に感動的でした。司祭館での会話の中で、アンヘル師は「浜松プロジェクトのための鷺沼教会共同体の援助と支えは表に出ている数字をはるかに超える大きなものでした」と感謝を述べられましたので、皆様にお伝えしたいと思います。

山野内家はもともと大分県佐伯市に住んでいました。郵便局に勤務していたお父さんは長男のマリオ倫明師(現在・四谷管区長館院長)が小学校3年生のとき、アルゼンチンのメンドサに移民しました。次男のアンヘル公司師は家庭での日本語と一歩外に出た時のスペイン語、どちらも自由にこなせない辛さ、特に思春期時代にデリケートな事柄、内面的なことについて両親と言葉が通じない切なさと苦しみを体験しました。そのことはまさに、現在、浜松の多国籍信徒の子どもたちが持っている問題と通じるわけです。久里浜少年院の収容者の九割が日系ブラジル人だという数字は象徴的です。アンヘル師の浜松での貴重な働きの上に今後とも鷺沼から熱いサポートを送り続けましょう。

主任司祭 松尾 貢
LINEで送る