以前、教会ニュースで鷺沼教会の持つ素晴らしい宝として、福祉活動を採り上げました。鷺沼に赴任して、もう一つ感心したのが、「レクチオ・ディヴィーナ」(Lectio Divina 聖なる読書)の実践です。

「レクチオ・ディヴィーナ」は、カトリック教会では1500年以上の伝統をもつものですが、長い間埋もれた存在でした。やっと、第二バチカン公会議後、教皇様たちがみ言葉に親しむ手段として、公文書でよく取り上げられるようになってきました。聖書学者でもある現サレジオ会総長チャーベス師もことあるごとに「レクチオ・ディヴィーナ」の重要性を強調しています。

レクチオ・ディヴィーナが大切であることは、重々わかっていたのですが、今ひとつ自分の中で身近なものとする手立てが見つからないでいました。それが、鷺沼教会では月に2度も「祈りの会」として実践されているではありませんか。鷺沼教会のレクチオ・ディヴィーナの実践ですばらしいのは、複雑でなく実にシンプルなことです。更に、司教や司祭がトップダウンでおろしてきたのではなく、信徒の中から自立的に育まれた運動として実践されている点です。

数年前から何名かの方々がイエズス会士から「Lectio Divina」の指導を受けてきて、今年3月大船修道院の植栗師を四旬節の黙想指導者として迎え、その実りとして月2回の集いが続けられることになったと伺いました。

できるだけ多くの方々に体験していただこうと、1学期のマリア会の地区集会で、今年は家庭ミサの代わりに「Lectio Divina」を導入しました。また、青年会の夏の野尻湖合宿でも2回行いました。参加した青年全員が心に響いたみ言葉を発表しあい、なぜ響いたのかを分かち合ったことはこの夏の素晴らしい体験となりました。鷺沼教会のメンバーでまだ体験していない方にはぜひ一度参加してほしいですし、鷺沼だけではなく他の教会にもぜひ広がっていってほしいと願っています。

「聖書を知らないことは、キリストを知らないことである」(聖ヒエロニムス)

主任司祭 松尾 貢
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