東京五輪招致運動の際の滝川クリステルさんのフランス語でのスピーチ、特に“おもてなし”を強調した場面が好感がもてるとして話題をよんだのは記憶に新しいことです。
今年の鷺沼教会バザーのテーマは「出会いを活かそう」ですが、バザーだけではなく小教区共同体の全員がいつでもどこでも心がけるべき姿勢は、おもてなしの心と言えると思います。ちなみに、「もてなし」を和英辞典でひくと treatment,hospitality,reception,entertainment,service といった語が、和伊辞典では trattamento,accoglienza,ospitalita,servizio が出てきます。個人的には、イタリア語の accoglienzaが <温かく迎え、もてなす>という意味なので、“おもてなし”に一番近いのかもしれません。
聖書の中で、もてなしを描いた箇所としてまず挙げられるのは、創世記18章3節~5節です。
アブラハムは言った。「お客様、よろしければ、どうか、僕のもとを通り過ぎないで下さい。水を少々持って来させますから、足を洗って、木陰でどうぞひと休みなさって下さい。何か召し上がるものを調えますので、疲れを癒やしてから、お出かけ下さい。せっかく、僕の所の近くをお通りになったのですから」。
新約聖書においては、ベタニアにおけるマルタ・マリアの姉妹が有名(ルカ10章38節参照)ですが、ペトロの姑の姿も味わい深いもので、ルカはこう書いています。
イエスは会堂を立ち去り、シモンの家にお入りになった。シモンの姑が高い熱に苦しんでいたので、人々は彼女のことをイエスに頼んだ。イエスが枕もとに立って熱を叱りつけられると、熱は去り、彼女はすぐに起き上がって一同をもてなした(ルカ4章38~39節)。
ヘブライ人への手紙にも「旅人をもてなすことを忘れてはいけません。そうすることで、ある人は気づかず天使たちをもてなしました」(13章2節)とあります。
地域にいつも開かれた小教区共同体であるためにも、私たち皆がもてなしの心を持つことができますように努めてまいりましょう。