先日、毎日新聞のコラム「憂楽帳」に“数字の不思議”と題して、下記の記事が載っていた。

 取材先で、ある研究者と談笑していた時だった。2枚重ねのポケットティッシュを取り出し、「何回折りたためる?」と聞いてきた。1回、2回……。私には7回が限界だった。研究者は笑って言った。「そう。自然界にはラッキー7が潜んでいるんだよ」

この研究者は生命科学が専門。ヒトの受精卵は約7回分裂すると肺盤胞になるという。これが子宮に着床すると、赤ちゃんに育つ。他にも、人が瞬間に記憶できる情報は、約7個とされ「マジカルナンバー」と呼ばれるなど、7にまつわるエピソードは多い。そういえば、私が学んだ原子核物理でも、「魔法数」なる概念があった。原子核を構成する陽子などの数が2、8、20など七つの特別な数字の時だけ、核が安定して壊れにくくなる。発見者はノーベル賞に輝いた。
研究者は「数字の7は、人間が意識していない部分に関わっているのかもしれない。謎はまだたくさんある」と教えてくれた。

キリスト教でも7という数字は重要な数字。
神による宇宙の創造と神の休息の数であり、完成や全体を表す。黙示録でも「七つの封印」「七つの鉢」「七つの目」など、全体やすべてを象徴している。また七つの秘跡、聖霊の七つ
の賜物といった聖なるものを表す数字でもある。

さて、今日は教会での成人のお祝いの日ですが、日本での20という区切りはなにか意味があるのでしょうか。
大正末期に普通選挙権が25歳からの男子に与えられ、第2次大戦後20歳以上の男女に拡大され、今は18歳に下げようという運動がなされています。そこには「働く」とか「納税」といった基準があるように思われます。
一方、イスラエルの成人式は男子がバル・ミツバと呼ばれ13歳、女子がバット・ミツバと呼ばれ12歳です。「ミツバ」とはユダヤ教の戒律のことであり、戒律を守ることができる年齢が成人だとされているわけです。

数字がどんな意味を持ち、どのような基準に則しているのか、考えてみたいものです。

主任司祭 松尾 貢
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