4年前に鷺沼教会に着任してきたとき、“この教会は福祉の意識が高い教会だな”と感心したのを思い出します。
毎週日曜日に鷺沼駅・たまプラーザ駅と教会の間の送迎サービス、駐車場の誘導サービス、近所の介護や看護施設へのいくつものボランティアグループ(セタナ、泉の会、ランバスなど)。

その中で「鷺沼配食サービス」の活動は市や区を巻き込んでの先駆的な役割を果たしたボランティア活動でした。
詳しいいきさつは「コムニオ」誌4月号、5月号で横山さんがこれまでの経過を説明してくださるので、それに譲りたいと思いますが、介護保険制度がなかった時代に、一人住まいのお年寄りを週に1度見舞うことは、単なる配食以上の意義のある試みでありました。このボランティアを支え、関わってくださった多くの方に感謝の意を表したいと思います。

当時の主任司祭シモンチェリ師、その次の山野内アンヘル師も、共に福祉に関する問題意識が鋭く、社会的弱者に寄り添う姿勢を大事にされる方でした。
ホームレスの方が見えたとき、必ず部屋に招き入れて飲みものを出しお話しをする、人間として扱うことをポリシーとなさっていたシモンチェリ師。その対応には多くの反対意見があったのも事実ですが、人間の尊厳を尊ぶ姿勢は揺るがない信念に満ちていました。80代後半になった現在、別府のサレジオハウスで自分よりも若い会員の介護に尽くされておられる姿は、何よりの証といえます。
また、リーマンショック後に浜松周辺で解雇された多くの多国籍の従業員やその子供たちのために浜松教会挙げてのアンヘル師の支援活動は目覚しいものでした。

復活祭後に「鷺沼配食サービス」の終了式典が行われ、その後にシモンチェリ師の司祭叙階60周年(ダイヤモンド祝)をお祝いするのは、なにか象徴的な意味があるようです。

介護保険制度が充実し、配食のサービスも数多く存在するようになった現在、週1回の鷺沼配食サービスも使命を果たし終えたということができます。しかし鷺沼教会の信徒とその倍以上の近隣の未洗者との共同作業は教会の敷居を低くしましたし、その交流と福祉の輪を惜しむ声が多いのも事実です。配食サービスに代わるそのような場を作ることも求められているようです。皆様のお知恵をお貸し下さい。

主任司祭 松尾 貢
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