エゲリア(EGERIA)は381年から384年頃に、パレスティナやエジプトへ旅行し、聖地巡礼記を著したとされる女性巡礼者です。スペイン北西部ガリシア地方出身の修道女という説が有力とされていますがその人物の詳細についてははっきりとしていません。
『巡礼記』は全体で49章からなり、前半(1~23章)はシナイ山、ネポ山、メソポタミアなどへの巡礼記となっていて、主に旧約聖書に出てくる場所を訪れ、当時の景観や言い伝えを詳述しています。後半(24~49章)はエルサレムとその周辺で行われていた典礼の記録です。毎日の教会の祈り、季節の典礼、四旬節の断食、洗礼前後の講和などについて細かく説明されており、朗読に用いられる聖書や、典礼における聖職者や信徒会衆の役割についても記されている貴重な文献です。
イエズス会士具師は、エゲリアが『巡礼記』を書いた当時のエルサレムの典礼には二つの特徴があったと説明しています。
- キュリロスという偉大な司教の存在の指導力がこの都市の典礼に活力を与えた。
- エルサレムの典礼は移動という現象によって活性化されていた。
“聖金曜日の早朝の典礼はオリーブ山から下る行列から始まる。二百本以上のろうそくが伴った行列であった。ゲッセマネ付近には二つの留(statio)があった。一つ目の留はイエスが祈られた場所であり、二つ目の留はイエスが捕えられた場所にあった。そこで、祈り、聖歌、福音書朗読、聖歌が伴う行列がおこなわれた。朝日が昇るとき、一行は町の門を通りゴルゴダへと向かって行列を作った。”
『巡礼記』39章に描かれている様子ですが、私たちが行っている十字架の道行の信心業の原型が示されているように思えます。現在、私たちが四旬節の金曜日に行っている「十字架の道行」という信心業は『YOUCAT』では次のように説明されています。
”14の留(立ち止まるところ)で祈りと黙想をしながら、イエスの後について十字架の道をたどることは教会の古い信心で、特に四旬節や聖週間に行われるんだ”
四旬節の間、毎金曜日行われる十字架の道行にあなたも参加してみませんか。
主任司祭 松尾 貢