ウンベルト記

ウンベルト・カバリエレ神父

育英高専には20年間お邪魔していましたが、成果が一つも上がらないせいか、素行不良か、やはり島流し。離れ島に首が飛んで辛うじて、宮崎まで転がって行きました。神様はどうして無能なこの僕を日本に?? いまだによくわかりません。

県下一強い組合の日向学院の総管理総監督をさせられ、見事な「要望書を」季節ごとに渡され、返事をしなければならず……。そんなことで、13年間イジメられたかな……。

最初から、研修会、学校運営、労組問題、異業種間の会議重ねて、痩せていた僕が、おなかが出、血圧が上がり、脱腸の手術。しかし診断書では、すべて原因不明……。

県立志向で、しかも子供が減っていく一方の地域では、生ぬるい日向学院は呆けで戦えない。カリキュラムを作り直し、会議に会議を重ねて、狙いを定め、ウンベルトもうんとベルトを締めて、七転び八起きの精神で再出発。土の中から子供を掘り出すように毎年、南日本全体を駆け回ったおかげで、各地の美味しいものを食べ、地理に詳しくなりました。かき集めた寮生徒が 200人を越した時、叱られました。親が子供一人さえ育てられないのに、200人も抱えてはと……。寮に入る生徒はと言えば、泣きわめいて、ぼろくそに言うばかり。親は、子供が家にいなくて安上りだし楽だわ~と……。その結果、寮監がみんな辞めていってしまったのです。「あのベルトを抑えて!!」

また、首。こんどは大分県の中津市に首が逆戻りした。ボスコ学園児童養護施設に。

学校法から福祉法へと違う世界へ。東京福祉大でカンヅメになり、勉強のし直し。一週間、朝、昼、晩、お偉い教授たちの講義。六日目に僕は目が回って、幻を見ていたようでした。そして、大きな真っ白な試験用紙が配られました。ダンテの地獄に入ったようで、壁が真っ白、窓からの光線が真っ白、僕の顔も頭も真っ白だったに違いない。解答用紙に名前を書いて、白紙で出しました。まもなく、試験官がかけてきて、「ウンベルトさん、ずっとおりますので、聴いたことをここに書いてください」15分で書きあげ合格。

預かっている子たちの半分は被虐待児でした。親不信、大人不信、指導員不信で話さない、目を見ない。怖がっているので、すべて難しい。眠れない八歳の子がいたので、ベテランの女子指導員に、その子を自宅で一緒に優しく寝かしてくれるようにお願いしたら、3か月で立ち直りました。愛がなければ、すべては、はかなく消えてゆく……。

ここでも5年が経ちましたが、僕はやはり、学校でも、児童施設でも役に立たない?

ということで、田舎の2教会に回された。一人生活、買い物、料理、食事、皿洗い、掃除、洗濯、片付け、ごみ整理、税金納め、確定申告……。

ああ、神様。アフリカで良かったんではありませんか??


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