先月初めに宮古教会の小出眞規子さんという方が鷺沼教会を訪ねてみえました。昨年暮れに台風10号による被害を受けた岩泉町の水害支援活動をなさっていた方で、鷺沼教会からたくさんの寄付を頂いたので、いつか機会があったら鷺沼を訪問したかったそうです。あいにく私は山中湖の教会学校行事で不在でしたが、聖体訪問をなさり、お土産を置いていかれました。実は同じ宮古教会で事務をなさっている伊藤純子さんという方も6月初めの日曜日に鷺沼にいらっしゃったそうですが、フリーマーケットで皆さんが忙しくなさっていたので、声もかけずに帰られたそうです。東日本の大震災以降、大槌、米川、二本松など6年間にわたって、ボランティアや支援活動を続けてきた私たちですが、いろいろな縁や絆がうまれてきたのは嬉しいことです。

ボランティアはもともとラテン語の「voluntas」(意志)から派生してきた言葉です。“自ら望んで行う”ものであって、本来は、他者からの強制とか、見返りを求める意図はありません。そうしますと、やはりギリシア語のαγαπη(アガペー)、ラテン語のCaritasが土台になければ務まらないといえます。

『愛は見返りを期待しない。Charity begins when nothing is expected in return』という姿勢の中に、すべてのボランティアにとってのキリスト教的価値観がひそんでいるのではないでしょうか。

被災者が喜んでくれて感謝を表明してくれる時、こちらも嬉しくなるのは当然ですが、感謝されることを最初から目的として援助するならば、ボランティア活動の名に値しません。

「わたしは、被災した人たちが、不愛想な態度で、一言の礼も言わないとしたら、はたして援助活動を止めるのだろうか、それとも続けていくのだろうかと」と自問してみる必要があります。

『キリストは一切の見返りを求めずに私たちを愛してくださっているのです』から。

今日は三か月に一回の“福島やさい畑”販売の日です。小さな支援活動ですが、「継続は力なり」の気持ちで続けてまいりましょう。

主任司祭 松尾 貢

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