先日の子どもミサでの榎本神父様の説教は“ご変容”についてでした。高い山に登ったとき、光り輝くイエス様の姿を見た時、天から声が聞こえました。「これはわたしの愛する子。これに聞け」。“聞け”と言われるのだから、私たちも静かにして、耳を澄まして、主の言葉を聴く必要があります、という内容でした。
榎本師は説教の導入のところで、先日閉幕したピョンチャン冬季五輪での小平選手のエピソードを引用されました。冬季五輪ではいろいろなドラマが生まれましたが、その中で最も印象的なものはスピードスケート女子5百メートルで金メダルを獲得した小平奈緒選手の態度ではなかったでしょうか。彼女はレース後、五輪新で沸き返る会場に向かって、人差し指を口に当てて“シー”と静かにするように求めました。次のレースに臨む李相花選手を思いやっての仕草でした。小平選手はレース後、3連覇を逃して2位銀メダルとなった李選手に韓国語で「チャレッソ(よく頑張ったね)」と声をかけ、ライバルを抱き寄せました、李相花は泣きながら小平にしがみつき、二人はそれぞれの国旗を手にラストラン。地元の応援で埋まった客席から、盛大な拍手が送られました。W杯などで外国を転戦する中で育んだ友情の発露だったわけです。困難で微妙な日韓関係を改善するための示唆に富むエピソードではないでしょうか。
先日、参加したあるセミナーで、傾聴の大切さが強調されていました。その話の中で「沈黙の聖母」というイコンが紹介されました。そのイコンのマリア様がちょうど小平選手のように人差し指を口にあてて“シー”と言っているかのように見えるのです。
静かにして、神様のみ言葉を聴きましょう、という呼びかけです。自分の回り起こって来るさまざまな解せない出来事や襲ってくる難題や苦難。それに対して文句を言ったり、嘆いたりするだけでなく、マリアのように心に留め、思いめぐらすこと。神様の声に耳を傾けていくこと。そういう姿勢を求めている姿勢、マリア様らしい仕草なのでしょう。
「沈黙の果実は祈り。祈りの果実は信仰。信仰の果実は愛。愛の果実は奉仕。奉仕の果実は平和」(マザーテレサ)
主任司祭 松尾 貢