2022年6月19日、西本裕二主任司祭と阿部仲麻呂協力司祭の銀祝(司祭叙階25年)のお祝いが行われました。
お二方とも、おめでとうございます! これからも元気に神様の召命に応えて続けてゆかれますよう、お祈りしています。
《写真》
《ミサ説教概要》
イエス・キリストが12人の弟子たちに述べます。「あなたがたが人びとを食べさせなさい。あなたがたが人びとを支えなさい」(ルカ9・11b〜17参照)。イエス・キリストの特徴は、相手が自立して活躍できるように、後押しすることです。相手の持っている力を信じて任せる、イエス・キリストは弟子たちを自立した信仰を持つ大人として活躍できるように後押しします。イエス・キリストは自分の力を使って他の人を支える実力を持っていながら、でもまずは、弟子たちに使命を託します。イエス・キリストは弟子と一緒になって人を助けるお方です。「あなたがたが行いなさい」。イエス・キリストの呼びかけは今日の弟子である私たちにも述べられたものです。
何とかして出会うすべての人びとを助けたいという思いを、イエス・キリストは十字架につけられる前の晩、パンとぶどう酒という身近にあるものを通して弟子たちに遺言として託されるわけです。私たちはご聖体をいただくたびに、そのあと社会に派遣されて、他の人に自分の持っている善さを分かち合う旅に駆り立てられていくことになります。
「5つのパンと2匹の魚」には、五体満足の完全なお方であるキリストの力、そして、二人の弟子の協力である宣教ということもイメージされているようです。完全で優れた食物であるキリストを信じて、それを人びとに分かち与えるときに、大きな満足をあらゆる人に与えることができる、という私たちの行うべき使命が、そこから見えてきます。今、世界中で、戦争や様々な災害、疫病などにより多くの人びとが落ち込んでいます。私たちがすべきことは、天を仰いで祝福の祈りを唱えながらできるところから始めるという、イエス・キリストの態度を真似してみることです。キリスト者のシンボルでもある魚から、イエス・キリストが2人を遣わして宣教活動をさせるということを、今日のお祝いのご聖体のごミサを通して私は今確認しています。
西本神父様と私は1989年から修練期を同じ学年で始めまして、今33年経ちました。西本神父様は、初めから小教区司牧を行いたい、現場で信徒の人と一緒に歩みたいということを望んでおられました。私のほうは、研究と黙想指導を中心にして、奥にある真理を明らかにする仕事を25年間行ってきました。ということで、性格がまったく違います。一人ひとりが持っている善さが生かされて相手を補う、そうした1つのチームとしてできるだけ多くの実を生じさせていくことができます。異なる立場で共に宣教をしている、それはイエス・キリストが選んだ組み合わせによるということを、今、25年経って確認させていただいています。
サレジオ会の創立者ヨハネ・ボスコのお母さん・マルガリータは、息子が司祭叙階を受けるときに「ミサを捧げるということは、苦しみ始めるということです」と述べました。このエピソードを、叙階されるまで理解できませんでした。ミサにおいて、あらゆる人の痛みを背負って、解決できない苦しさを抱えながら祈り続けることしかできない、冷や汗を流しながら、本当に痛みを感じながら祈る時であるということが、実感して分かりました。
信仰深い素朴な1人の母親こそが本当のミサの意味を知っている。母親の持つ深い発見、洞察、こういう価値観を今日思い出すと良いと思います。皆さんがたも母親として本当に大事なことを子供に伝えて一緒に生きていくことができるわけで、そういう態度こそが、命がけで人を支えて生かす、本来的なキリストの態度と共通性があります。
今日の聖体のお祝いというのは、みんなで本気になって生きていこうという決意をする、命がけで、体当たりで、人に自分を捧げるという業(わざ)を思い出すお祝いでもあります。