11月はカトリック教会では死者の月。とくに死者のために祈ることが勧められています。これはフランスのクリュニー修道院から広まった習慣です。個人的に印象深いお墓は、ルクセンブルクからドイツのコブレンツに注ぐライン川の支流、モーゼル川添いの農村の教会墓地です。なだらかな丘陵地帯にあるその村から宣教に出かけた司祭や修道女の名前が記されたお墓を前にしたとき感慨深いものでした。こんな豊かなモーゼルワインと穀倉地の小教区から大勢の宣教者がアジアやアフリカの宣教に旅立って下さったことへの、感謝の想いでした。

新潟県上越地方では、墓石にわざわざ「墓」と刻銘されたお墓が多いそうです。浄土真宗の教学者で明治から昭和にかけて活躍した金子大栄師ゆかりの高田・最賢寺の墓も「墓」と刻まれているそうです。一見、誰が見ても墓とわかるのに、なぜあえて墓と刻むのでしょうか。考えてみると、「墓」という漢字は草かんむりに日があって、また草があって、その下に土がある形象文字です。地平線の草むらに夕日が沈んでいく美しいイメージが浮かびます。「葬る」の語源は「ホウル」から来ているという説もあります。古代日本の庶民は草むらに死体を放っていたのかもしれません。そういえば「葬」という漢字も草と草の間に死がある形象文字です。墓碑に何を刻むかは、そこに住む人の思想や時代、宗教観を色濃く反映していると言えます。

古代では五輪塔に梵字が見られましたが、儒教の家制度が定着すると「何々家の家」が多くなり、やがて、「南無阿弥陀仏」や「南無妙法蓮華教」とか「俱会一処」といった宗教を反映した言葉を刻みます。特定の宗教にこだわらない人たちは「希望」「和」「悠久」「夢」「心」といった漢字を刻む人が多いようです。あるお坊さんの解説によると、親鸞以前の南無阿弥陀仏は、南無に徹しきれない我執に捉われた人間が、弥陀仏を仏像のように対象化して祈願する「お助け下さい」「浄土へ導いてください」といった祈願的要素が強かったそうです。しかし、親鸞の念仏は如来に出逢えた喜びから発せられるもので、まさに〈ありがとう〉の心が示されている大乗仏教の真髄であるわけです。「仏様ありがとう」「先に浄土に行かれた方々ありがとう」の心はカトリック教会で大切にしている〈聖徒の交わり(諸聖人の通功)〉と相通じるものがあるようです。

主任司祭  松尾 貢

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