今年も救世軍社会福祉部の岡本大尉が、教会バザーで残った献品類を中型トラックで引き取りに来て下さった。積み終わった後のお茶の席で、大尉が次のような話をしてくださった。
「救世軍名物、アドヴェント期間中の“社会鍋”もかつてのように大々的にできなくなりました。高齢化ということもあって、社会的な認知度も低くなってきています。駅前でトランペットを吹いたり、賛美歌を歌ったりしていると、若いお巡りさんがやってきて、“こんなところでライブをやるんじゃない”と言われることもあるんです」。
かつて、救世軍社会鍋は俳句の季語にも詠われ、師走の訪れを告げる風物詩として、よく知られていたものでした。
・来る人に 我は行く人 慈善鍋 高浜虚子
・だいたんに 銀一片を 社会鍋 飯田蛇笏
・サイレンが かき消す聖歌 社会鍋 福井湖春
・社会鍋 小銭なかなか 見つからぬ 五十嵐みち
・慈善鍋 昼が夜となる 人通り 中村汀女
救世軍は1878年に英国のメソジスト派牧師ウイリアム・ブースによって創立されたプロテスタントの一派です。軍隊的組織のもとに民衆伝道と社会事業を行うことで知られ、日本にやって来たのは1894年でした。
後に救世軍司官となる山室軍平がその救世軍に入隊したのは1895年12月。そして翌年夏、山室軍平は神奈川県富岡での霊的体験を通して、信仰が深められていきます。
「わたしはキリストと共に十字架につけられています。生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」(ガラテアの信徒への手紙2章19節~20節)という言葉に接し、生きるキリストとの一体感を味わいます。
山室軍平の親友、新渡戸稲造的表現で言えば、「垂直と水平の関係」をしっかりと身につけて、聖霊に導かれながら、祈りつつ、愛の奉仕をなす心構えができあがっていくのです。
「心は神に、手は人に」という救世軍の方々がよく使う標語のもと、信仰と愛の奉仕を一途に果たしてきました。
同じキリストを信じる者として、彼らの熱意に倣い、クリスマスを迎える準備に励みたいものです。