鷺沼教会バザーの日である10月23日。その日、ローマの聖ペトロ広場では3人の福者の列聖式が行なわれます。
その新聖人の一人 Luigi Guanella (ルイジ・グアネッラ)について、少しご紹介しましょう。グアネッラは1842年アルプス国境に近いソンドリオに出生。66年司祭叙階。サヴォニョ村の主任司祭となります。ドン・ボスコの活躍を耳にして、70年から何度となくトリノのオラトリオを訪ねます。75年初頭、司教の許可を得、サレジオ会入会を決断します。トリノに到着した丁度そのとき、ドン・ボスコは南米に最初の宣教師団を派遣する人選を終えたところでした。ドン・ボスコはグアネッラに会うなり、「私たちも南米にいきましょうか」と声をかけます。同年9月にグアネッラ師は3年間の有期誓願を宣立。トリノのサンルイジのオラトリオの院長に任命されます。教区司祭としての経験があったグアネッラに対してのドン・ボスコの信頼は厚く、院長の仕事の他に、著述活動、成人召命プロジェクトの立ち上げを任せます。また、最初の修道会総会メンバーにも選出されます。しかし、出身地でのサレジオ会支部開設を願う彼と、宣教師として中南米への派遣を考えるドン・ボスコとの隔たりは大きく、彼を退会へと傾いていきます。78年7月、ドン・ボスコはグアネッラ宛の手紙の中で、「霊名日にカードをありがとう。教皇様からサント・ドミンゴへの宣教師派遣の要請がきています。愛するルイジ神父,その一員となってくれませんか」と懇願しています。その甲斐なく、グアネッラは2ヵ月後退会し、出身教区に戻ります。そして念願の孤児や貧しい子供たちのための学校を開設します。しかし、多くの困難にぶつかる中で、81年9月にドン・ボスコにサレジオ会への再入会を願いでます。その要請に対してドン・ボスコは「南米に宣教師として赴任するなら、再入会を許可する」という手紙を書き送ります。
再入会を断念したグアネッラはコモで知的・身体的なハンディキャップをもった人たちのための教育・福祉事業を展開し、修道会を創立していきます。
ドン・ボスコはどうしてそんなにまで宣教師にこだわり、グアネッラはどうして故郷での事業にこだわったのか。結果論としては、二人ともめでたく聖人になったのですから、「よかった」「よかった」なのですが、二人の聖人のこだわりには驚かされます。と同時に、聖人とは考え方が正しいとか、欠点が多いとか少ないとかで計るものではなく、どれだけ神と人を愛したかにあるのだということを再認識させられます。