今日の福音に描かれている、サマリアの女が主イエス・キリストと出会うエピソードは、「出会い」ということについて考えさせてくれる、ぴったりのきっかけになると思います。
わたしたちは社会生活を営んでいる以上、毎日、さまざまな場において、さまざまな人々と出会います。微笑みながら受け入れてくれる人もいれば、仕方なく我慢してくれる人もいます。喜んでくれる人もいれば、まったく認めてくれない人もいます。確かにさまざまな出会いがありますが、そこで起こしやすい間違いの一つは、相手のことばかりを見て、その出会いについて判断し、評価をしてしまうことです。どんな出会いの場合にも、自分も人にとっての相手であることを忘れてはなりません。人との出会いのおかげで、客観的に自分を見られるようになるならば、それは、すばらしい出会いを得たと言えるのではないでしょうか。
水を汲みに来たサマリアの女は、主イエス・キリストと出会い、対話を交わすことを通して、少しずつ主を知り、主だけは人間が一番必要としている水、永遠の命の水を与えてくださることを悟るようになります。また、私生活について耳の痛いことを言われて、自分を改めなければならないと思うようになります。
それだけではありません。救い主と出会った喜びを人々に知らせ、その人たちの依頼で主は二日間サマリアにとどまり、その言葉を聞いた多くの人が、主イエス・キリストを信じるようになりました。
日々の生活における人との出会いによって、私たちはもっと客観的に自分を把握することができますが、キリストと出会うならば、自分がどういう自分にならなければならないかを、少しずつ、理解することができます。
今日のごミサの時のキリストとの出会いも、サマリアの女のように、自分の姿や人生を新しい光で照らしてくださる出会いとなりますように、祈っています。