11月24日、長崎で「ペトロ岐部と187殉教者の列福式」が挙行されます。私たち日本の教会にとっても、日本の社会にとっても大きなお恵みだと言えます。それで、しばらくはシリーズで「殉教」について考えていきたいと思います。

語源は新約聖書に見られるギリシャ語動詞martyrein(証する)、名詞martyrion(証言),martys(証人)です。

新約にあっては「証し」はすべてイエス様に向けられます。

イエス様が亡くなられた後、新約時代に最初に殉教したのは聖ステファノでした。聖ステファノについては初代教会の歴史をつづった「使徒行録」によく記されています。初代教会の信者たちは“心を一つにして、日々、絶えず神殿に参り、家でパンを手で分け、喜びと真心を持って食事を共にし、神をたたえた。彼らはすべての民に好意を持たれていた。”と記録されています。(使徒2:46)そんな中で、毎日の配給の時に、ギリシャ語しか話せないやもめたちも無視されないようにと7人の係を選びたい、というペトロの提案に対して、弟子仲間から選出された7人のうちの1人でした。この7人に「使徒たちは祈って、彼らの上に手を置いた」(使徒6:6)ので、最初の「助祭叙階」が行われたのでした。

ステファノは、配給の奉仕だけでなく、「恵みと力に満ちて、民の間に素晴らしい不思議な業としるしを行っていたので」(使徒6:8)反対者たちは見逃すことができず、逮捕し衆議会で尋問しました。この尋問のときの答弁は、使徒行録の7章全部を使ってまとめられています。旧約の「救いの歴史」に対する完璧な理解がそこには見られます。

「ステファノは聖霊に満たされてじっと天を見つめていた。すると神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとが見えた。そこで、彼は、『ああ、天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見える』と言った」(使徒7:55)ので、人びとは町の外に連れ出し石殺しの刑にしたのです。「神の右に立っておられるイエスに対する信仰宣言」の結果、殉教したのです。ステファノの最後の言葉として、「主イエス、私の霊をお受け下さい」「主よ、どうぞ、この罪を彼等に負わせないで下さい」の2つが残されています。これらはイエス様の言葉でもありました。「父よ、彼等をお赦し下さい。彼らは自分らが何をしているのか、分からないのです」(ルカ23:34)「父よ、私の霊をみ手に委ねます」(ルカ23:46)ステファノは死をもってイエス様を証しました。

主任司祭 田中次生
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