8月15日は「終戦記念日・聖母の被昇天の祝日」でもあります。1950年教皇ピウス12世が「終生処女である神の母無原罪のマリアは、地上での生活を終えたのち、肉体と霊魂とともに天国の栄光に入った」ということを、全キリスト信者が受け入れるべき教えとして信仰宣言しました。プロテスタント教会は、聖書にないことを教義化したとして反発しました。しかし、聖伝の源である外典(がいてん)聖書には、聖母の御死去についてのことが例外なく言及されています。そしてある学者は、マリア様の死は、「神の子の母」である彼女が、その生涯を貫いた特徴である“素朴さ”に包まれており、何の変哲もないごく普通の死だったのだと考えました。マリア様の被昇天は、マリア様を神格化し崇敬しようとするものではなく、私たち人間のキリストによる救いの最初の初穂・姿・シンボルとして考えることができます。

  1. マリアは深く一致していた。(キリストの御昇天後、初代教会のために尽力)
  2. 聖母は「新しいエワ」(罪とその悪に勝ち給う)
  3. 無原罪の御宿り(罪の汚れに染まらず)罪の結果による「死」に対しては当然勝利。
  4. 母として、キリストと深く一致(キリストの体は、聖母の体の分身。キリストの体の中には、聖母マリアの血が流れている。キリストが御昇天された。当然マリア様も。
  5. 「希望の象徴としてのマリア様」キリストは「栄光の希望」。マリアは「共贖者」として、キリストとともに私たちの希望。被昇天は「マリアが栄光の体とともに天に上げられた」ということであり、「キリスト者の希望が実現される」という保障。
  6. 聖ボンベンツーラの言葉「愛の力は、愛するものを愛されるものの類似へと変化させるもの」

御昇天の祝日が近づきます。聖母の使徒アルフォンソ・リゴリオは言います。「マリアはイエスの十字架の下に立った。その耐えた苦しみのため、すべての人の臨終にも“母として”立つ権利を獲得した」と。私たち一人ひとりの臨終の時にもマリア様が“お母さん”として来て下さいますように!!

主任司祭 田中次生
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