木曜日の聖書講座では『ヨハネの福音書』を読んでいます。今週は「もし一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それは一粒のまま残る。しかし、死ねば、豊かに実を結ぶ」というイエス様のお言葉(ヨハネ12:24)を考えました。13章からは最後の晩餐が始まりますので、イエス様がご自分の人生の要約として述べられたものと思えます。講座の準備のためいろいろと本を調べている時、「井深八重」(1897~1989)というハンセン病患者のために生涯を捧げた御殿場の神山復生病院の看護婦長さんに行き当たりました。彼女については聞いたことがあるという程度でしたので今回は一日がかりでいろいろと調べてみました。
八重さんは会津藩家老の家に生まれました。幼くして母と死別しましたが、国会議員の父の愛情を一杯受けて育ちました。同志社女学校を卒業して長崎県立女学校の英語教師として、青春を謳歌していた時「肌に赤い斑点」が沢山できました。大学病院での精密検査は「ハンセン病」でした。井深家からも籍を抜かれた彼女は、誰にも挨拶もできずに、逃げるようにして神山復生病院に隔離されました。何度も真剣に「自殺」を考えた彼女でしたが、フランス人の医者でもあるレゼー神父の患者に対する献身的な姿勢と社会から棄てられているのに、明るく生活している患者さんたちに心を打たれます。
いつしか彼女はレゼー医師・神父の右腕的な存在になっていました。そして1年が過ぎようとした時、あの運命の赤い斑点が不思議と消えてなくなっていたのでした。精密検査の結果で「ハンセン病」でないことが分かり、大喜びのレゼー神父に「フランスに留学して再出発」をと強く勧められました。「一度死んだ自分を生き返らせてくれた、レゼー神父と患者さんを棄てることはできない」と考えたのでした。
看護婦の資格を取って今度は正式な「看護婦」として、残りの人生のすべてをレゼー神父と患者さんたちのために捧げたのでした。彼女の人生はまさに「もし一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それは一粒のまま残る。しかし、死ねば、豊かに実を結ぶ」と言われ、また実行されたイエス様のあとを、力強く歩き続け、沢山の患者さんの「お母さん」として、1989年91歳で人びとの涙のうちに、神様のもとに旅立たれたのでした。