1月24日は聖フランシスコ・サレジオの祝日でした。ご承知のようにサレジオ会の名前の由来になった聖人です。17世紀初頭、サレジオが創立した女子修道会が、トリノ市に修道院を開設し、彼の著書「信心生活入門」が18ヵ国に訳されました。「ドン・ボスコ自叙伝」によるとドン・ボスコが1835年トリノの神学校に入学した時からサレジオとの意識的な出会いがありました。教区立神学校(6年修業)とドン・ボスコが司祭叙階後学んだ「神学専門学校」(3年修業)は共にフランシスコ・サレジオを保護の聖人としていました。29歳までの9年間、若きドン・ボスコが朝な夕なその雰囲気の中で生活をしたのですから、サレジオの精神が骨の髄まで染込んでいたということができるでしょう。
1844年、トリノ市でドン・ボスコが最初に少年のためのオラトリオ(日曜学校)をバロロ公爵夫人の少女のための施設「リフージョ」の隣に作ったとき、「聖フランシスコ・サレジオ」と命名しました。その理由を自叙伝は次のようにまとめています。「私たちの役務を果たすために大いなる穏やかさと柔和が必要ですから、この聖人の保護のもとに身を置き、その並はずれた柔和と人々の好意を得る魅力が、私たちのものになる恵を取り次いでいただくためです」と。ドン・ボスコにとってサレジオは、教育者としてあるべき姿・モデルであったということができるでしょう。
このことは、ドン・ボスコの神父・教育者としての生き方・方向を決定した9歳の時に見た「夢」を抜きにしては、正しく理解できないでしょう。ドン・ボスコは晩年になって「その夢の中で、獰猛な動物たちに例えられる子供を鉄拳で治めようとして失敗したボスコ少年が、マリア様の導きで“優しさ”を持っておとなしい子羊のようにできることを学んだ」と語ります。9歳の時の夢が心と意識の底流にあり、神父・教育者になろうと人生の方向を決定するに当たって、優しさと人間的魅力なに包まれている「サレジオの聖フランシスコ」をいつも仰いでいたということができるでしょう。