去年の暮れ久しぶりに一週間近く休みを取り、宮崎の日向学院を訪れることができました。私が神学校を卒業して最初に15年間働いたところであり、教え子や結婚式の司式をしたカップルが沢山います。もちろん事前に元カト研(カトリック研究会)部長に「全員集合」の指令を出しました。当日は15人ほどが集まり楽しい食事会でした。30数年前の各自の失敗を爆笑しながら時間が経つのを忘れました。
一段落した時に今は私立高校で教壇に立っている一人がこんなこと言いました。「高校時代本当によく遊んだなぁ!! 田中神父の思い出は“遊んだ思い出”しかないよなぁ~」と。その言葉をいくら何でも聞き捨てにできずに、私は反論しました。「チョット待てよ!! カト研や教会の高校生会で“聖書研究”をしたり、冬の“練成会 ”や夏の“キャンプ”“リーダー研修会”など真面目にやったじゃないか!!」と。しかし今度は防大を出で参謀本部にいるのが言いました。「聖書研究でやったことは全然憶えていないけど、西都原古墳群の原っぱで、真冬の1月に3時間も“花いちもんめ”を田中神父と一緒にしたのは絶対に忘れられないよなぁ~」と。その意見に皆も「そうだよ! 本当にそうだよ!!」と賛成するのでした。多勢に無勢「勝手なこと言って!! お前たちには本当に裏切られたよ!!」と愚痴るのが、精一杯でした。でも、考えてみれば、あの時代の楽しい思い出に、「西都原古墳群の花いちもんめ」が入っているのです。高校時代の思い出に「花いちもんめ」が入っているのは、あの時参加した25人ぐらいでしょう。人に自慢できる話ではありませんが、これも“若さ”の特権なのでしょうか?
教会のドミニコ・コーナーで「現代親子辞典」(ドン・ボスコの教育法による家庭教育)が特売されています。その中に「遊びの大切さ」の項目があり「心から子供の楽しみを自分の楽しみにしながら、子供と一緒に遊ぶ親は彼らと独特な絆を結び、その知的教育の土台を築くのである」と記されています。高校生を子供の中に入れると、高校生から叱られるかもしれませんが……