6月は私の保護の聖人の祝日があるので、本来はうれしい月であるはずですが、梅雨の季節のためか何となくすっきりした気分になれません。それでも早いもので今年もまた六月、梅雨の季節がやってきました。最近は、いろいろ空調設備が完備され、どこでもその恩恵に浴して、快適に過ごせるようになったことはありがたいことだと思います。
空調と言うといつも思い出すのは、小学校のときに習った「正倉院宝物庫」の校倉造りのことです。乾湿の変化を利用して、何百年の昔に考案された校倉造りが宝物を保護しているということは、頭では納得できるようでも現実には東大寺の寺域に点在する同様な校倉造りの倉庫群を見ていくと、これであれほど貴重なものを保護するなどとはどうも信用出来そうにもないなと、自分自身で決め付けていました。
ところが、先週の日曜日の朝、すでに何人かの方が教会を訪れ、祈っているのに電話がかかってきて教会の入り口に鍵がかかっていて入れないから、開けるようにと要請されました。あわてて行って見ると、鍵はちゃんと開けていましたが、扉が堅くて、なかなか開かない状態でした。梅雨のある時には扉が膨張して堅くなり、よほど力を入れなければなかなか開けられないのは以前からだったと聞き、なるほど鷺沼教会も正倉院式建築様式を採用しているのだなと感心すると共に、自分の判断が間違いだったことを実体験しました。
先人たちがその経験で獲得し、打ち立てた自然の空調設備の結集のすばらしい伝統によって大切な宝物が保たれていたのだと考えると、神様の創造のみ業の崇高さとそれを生活に取り込むことのできた人間のすばらしさに思いを至らせました。そう考えながら湿っぽい汗を拭いているとき、昔、一人の神父様から聞いた話が思い出されました。「夏になると人間は汗が出てくる。汗が出るには汗腺が大きくなるのだから、そこから悪霊が入り込むことにもなりかねない。だから、特に夏には皮膚からでも悪霊が入り込まないように気をつけなければならない。」なんとなく飛躍したようなお話しでしたが、人間にとって自然の空調だけでなく、もっと気をつけなければならないことがあるのだということを示したかったのだということは判りました。
夜の休む前の祈りに、教会は聖ペトロの言葉を引用して諭してくれます。「身を慎み、目をさましていよ。あなたがたの反対者である悪霊が、吼えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと捜しまわっている。信仰を固めて、これに立ち向かえ。」(Iペトロ5,8~9)