ある飛行士が空を飛んでいると、どうしたことかエンジントラブルで飛行機は墜落。飛行士は、すわ大変と、危ういところを落下傘で降りたら、落下傘は木に引っ掛かってしまった。すると、木の下を神父が通り過ぎようとしている。「ああもしもしそこを歩いている方、すみませんが、今、僕はどこにいますか、教えてください」。神父答える。「木の上だよ」「きっとあなたは神父さんでしょう」「よく分かったね」「だって、神父は正しいことを言うが、ためにならないので」。

のっけからこんな話をして、初めまして、申し訳ありません。今度、こちらにお世話になる長澤神父と申します。以後よろしく願います。

さて、最初の話の続きにこだわると、16世紀頃から、教会は、世の全てについて「あれは間違い、これも良くない」と快刀乱麻のように問題を処断してきました。しかし、振り向いたら、誰も聞く人はいません。でも、その風習が今に至るまで続いている。キリストのメッセージのありがたみなぞ遠い世界。世の中では、いいこと悪いこと以外に、いやそれ以上に多くの人が感じているのは、辛いこと、不運なことだらけである。地震、津波に洪水、格差、それにまた輪を掛けたようにコロナ騒ぎ、教会のメッセージとして何を世界に示すことができようか。一人ひとり、キリスト者の解答が待ち遠しい。

鷺沼教会主任司祭 長澤幸男

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