教皇故ヨハネ・パウロ2世は、世紀にまたがる貴重な年を「大聖年」と定め、すべての信者をこの年に向けて強め、清めながらキリストに向かって進むように促され、いよいよ新千年期にあたって、人々を「キリストのみ顔の観想」に向けて指導してくださいました。(使徒的書簡「新千年期の初めに」16)この霊的指導の流れに沿って昨年は「ロザリオの年」、そして今年は「聖体の年」と定められて、わたしたちの眼は高み向くように導かれます。

今年の「聖体の年」はこの一連の流れの中で、「登りつづける旅の高い地点での統合の年である」(使徒的書簡「主よ、一緒にお泊りください」10)といわれるように実に重要な年であり、テーマであるとも言えます。そして、今日「聖体の日」を迎え、聖体においでになるイエスの方に心と眼を向けて、信仰の喜びを新たにしているのです。カトリック教会のカテキズムは、次のように述べています。「聖別によって、パンとぶどう酒の実体はキリストのからだと血の実体に変わります。聖別されたパンとぶどう酒の形態のもとに、生きておられる栄光のキリストご自身が真に、現実に、実体的に、からだと血、霊魂と神性ともども現存されます。」(同書1413)すなわち、わたしたちの見ているパンとぶどう酒のうちに全キリストが存在されているのです。そのためにこそ聖体のうちにおられるキリストを礼拝し、またキリストの言葉に促されて聖体拝領に進みいくのです。

聖体に対する自覚と信心を改めて考えさせるこの日に、たまたま一枚のコピーが見つかりました。その昔、チマッティ神父様がサレジオ会員に宛てた勧めですが、現代でもすべてに人に勧められるものです。

御聖体に対する信心は

  1. キリスト教的、サレジオ会的信心の中核である。
  2. 修道(信仰)生活の完徳を目指すにあたっての栄養である。
  3. 教育(使徒的)活動の土台、環境、原動力である。

1936年11月6日 V.チマッティ神父 サレジオ会員

教会の伝統は、聖体祭儀におけるいけにえ(実体変化)と、それにつづく聖体拝領という一致の恵みにとどまることなく、聖体におられるキリストへの信心をはぐくんできました。故教皇様はそのようなもの、たとえば聖体の礼拝や聖体行列を勧めるとともに、聖体を通じて教会の一致、全世界の一致と連帯に対する自覚を推進するように求めています。

主任司祭 小坂正一郎
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