宮崎の日向学院を卒業し、一日半かけて調布の神学院にたどり着いたときは、すでに夜の祈りも終え、とっくに皆が就寝している真っ暗な雰囲気でした。待っていてくださったチマッティ神父様がまず聖堂に案内してくださいました。ドアを開けながら「イエス様ですよ」と教えてくださいましたが、その語調は、今まで勉強してわかっている「聖体の秘跡」とは異なる響きをもって迫ってきました。そのあとご聖体の前に膝まずく動作が、淡い赤の聖体ランプの光に浮かび上がり、その神々しいお姿に、ここは特別な場なのだ、特別なお方の指導を受けるのだと、初心者の私の心深く刻み込まれました。

このことを思い起こしたのは、先週、何人かの方から「赤いランプが消し忘れていますよ」とか、「あちらのランプが付いていませんよ」とご指摘を受けたからでした。皆さんはお気づきになったでしょうか。当日はいつもと異なり本祭壇のところに聖体ランプが灯され、そこの聖櫃にご聖体が安置されていたことを。教会法には次の規定があります。「至聖なる聖体が安置される聖櫃の前には、キリストの臨在が示され、たたえられるしるしとして、特別なランプが絶えずともされなければならない」(教会法940)。聖堂を訪問する時、この教えに従ってご聖体のうちにおられるイエス様がどちらに安置されているかをわきまえながら礼拝しているでしょうか。そして、もう一つの規定も注目にあたります。「至聖なる聖体は、教会堂又は礼拝堂内の一つの聖櫃にのみ常時安置されなければならない」(教会法 938-1)。壮麗な大聖堂といえども、たとえばヴァチカンの聖ペトロ大聖堂でも、ただ一箇所入って右手にある聖体のチャペルだけに安置されているのです。事情を知っているガイドさんが、その前を静かに説明しながら進んだ経験の方もおられることでしょう。

私たちの教会では、横にある小聖堂で日々のミサが捧げられ、個人的な聖体訪問や祈りにはその場が適しているので、ご聖体はそちらに安置しています。また、日曜日にはその囲いも取り除かれて一つの礼拝堂になりますから、通常はそちらに安置して、赤い聖体ランプもそこに点灯していますので、礼拝に当たっては間違いのないようにしてください。

聖体と礼拝について述べましたので、ひとこと気になっていることを述べさせてください。最近夏になってきたからでしょうか、どこかに行った「ついでにミサに参加しよう」と考えておられるのではないかと見受けられるようなラフな格好で日曜日のミサにこられる方を見受けることがあります。日曜日の礼拝は、私たち信者が公式にイエス様の前に出るときなのです。それに相応しいすがた格好は各自で自覚しなければなりません。

主任司祭 小坂正一郎
LINEで送る