以前、秩父宮ラグビー場に慶明戦を見に行ったときでした。私の近くに子供づれの夫婦とその父親らしい一家が応援に来ていました。良く見てみると子供と父親は明治の小旗を振っていました。ところがおじいさんは慶応の小旗を振っています。そのうち試合が白熱し、両者の攻防が激しくなってくると小旗の振り方にも熱が入ってきます。そこには親子関係とは異なる母校意識があふれ出て、なんともいえない感じを醸していました。母校を巣立って何年、いや何十年経た今も、自分の母校はここだという誇りと喜びを失わず、周りと一体になる心が現れた姿がはっきり読み取れ、心地よいものでした。

わたしたち信者は神に呼ばれ、洗礼の恵みによって「神の民」という大きな共同体の一員となりました。わたしたちはその神の民としての鷺沼教会共同体を形造り、それは横浜教区に属し、日本のカトリック教会を構成しています。そこに毅然とした所属意識と責任がなければなりません。その意味でも信者一人ひとりにが、鷺沼教会を構成し、支えているのだという自覚が求められます。そこに信者としての誇りと喜びがあります。その大きな表れが、信者の責任として求められる「教会維持費」の負担なのです。この浄財は単に鷺沼教会の物的維持管理ばかりでなく、教会の宣教司牧活動の面を支えると共に、それに留まらず、横浜教区の、日本の教会の、世界の教会の、すなわち神の国の到来のために活用されるものなのです。この務めを通じて、教会への一体感が培われ、一人の信徒としても成長しながら広くこの世の中に働かれる神様のみ手を感じ取ることも出来るようになります。

教会維持費は、各自の分に応じて捧げられるものですから、無理をするものでもありません。しかし、信者の務めを果たすということも忘れてなりません。また、同じ世帯の人でも成人して社会人となったときには、独立した世帯として、この務めを果たすべきことも覚えておかねばなりません。

わたしたちが信仰の恵みと共に、神様からいただく多くの恵みに感謝し、カトリック信者の誇りと喜びを持って神様の愛に応えながら、この務めを果たしたいと思います。なぜなら、「各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるのです。」(コリントの信徒への第二の手紙9,7)と教えられているとおりです。

主任司祭 小坂正一郎
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