昨年の10月から聖体におられるイエスのほうに眼を向けながら過ごしてまいりましたが、私たちは今日の「聖体の年を締めくくる儀式」をもって一応終了します。しかし、今年一杯は聖体への賛美の心を続けていくことにしましょう。故教皇ヨハネ・パウロ2世は、この年を聖体の年と定めるにあたって次の呼びかけをされています。「聖体の年は、キリストとそのみ顔の観想というテーマに根ざしてきた過ぎた何年かによって積み上げられた背景の下に開催されます。いわばそれは、登りつづける旅の高い地点での統合であると言えます。(使徒的書簡「主よ、一緒にお泊まりください」10)
聖体におられるイエスこそカトリック信者の出発点であり、目的地でもあるということは言うまでもありません。「聖体の年が、すべての人にとって、キリストがその教会にゆだねられた、比類なき富に気づくように成長する貴重な機会となりますように。聖体の年が、生きた熱烈な感謝の祭儀を促進し、愛によって変容されたキリスト教的生活へと導きますように」(同書29)と教皇様は願いをこめて私たちに勧められます。
この言葉をよく理解して、私たちの教会は今まで努力してきましたし、聖体の年にあたって、毎週の共同祈願において「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさいというキリストの呼びかけに、一人ひとりが進んで応えることができますように」という祈りを皆で捧げ、また毎日の具体的な努力目標をきめて過ごしてきたわけでした。
聖体の年だけではありませんが、教皇様は特にこの記念の年に、「ミサ聖祭の充実」、「沈黙の聖体礼拝」、「聖体賛美式」、「聖体行列」などの外的賛美を共同体としても勧められました。諸事情ですべては適いませんでしたが、いくらか実践できたところもありました。各自で「進んで応えることができますように」というところを考慮しながら努力していく部分は、今後も多分にあります。
あの日の午後、エマオに向かう弟子たちの言葉「一緒にお泊まりください。」(ルカ24,29)に呼応し、また、昇天の前に「私は世の終わりまで、いつもあなたたちとともにいる。」(マタイ28,20)と言われたイエスの言葉は、現実に私たちの教会の聖櫃のうちにおいでになります。共同体のミサの祭儀以外にも聖堂での個人的な祈りで「お泊り」くださっているイエスのもとに「留まる」のも私たちの「応える」かたちなのです。