毎年、1月18日(典礼改革前の暦では聖ペトロ使徒座の祝日)から1月25日(聖パウロ回心の記念日)までの8日間を「キリスト教一致祈祷週間」と定められ、キリストを信じながらも多くの群れに分かれている民が一つになるように祈りが勧められています。
教皇ベネディクト16世は、その就任ミサの説教で「わたしにはこの囲いに入っていないほかの羊もいる。」(ヨハネ10,16)、「それほど多く魚がとれたのに、網は破れていなかった。」(ヨハネ21,11)という聖書の言葉を引用したあと「ああ、愛する主よ、わたしたちは今、悲しい思いで、網が破れていることを認めなければなりません。……一つの群れとなることができるようにしてください。わたしたちが一致に仕えるしもべとなれますように、助けてください。」と祈っています。
この「キリスト教一致祈祷週間」の動きはずいぶん古いものですが、具体的にはワトソン師が1927年この祈祷週間を始められたことによって、プロテスタント教会やカトリック教会がともに一つに集ってこの意向で祈りを捧げています。第二バチカン公会議後、教皇庁キリスト教一致推進評議会と世界教会協議会(プロテスタント教会)が共通テーマを定め、小冊子を編纂して祈りの方向を指導しています。今年のテーマは、マタイ福音書から「二人または三人が私の名によって集まるところには、わたしもその中にいる」(マタイ18,20)が選ばれ、これに基づいて祈り、黙想するように勧められています。
わたしたちは待降節から降誕節の間にしばしば「わたしたちとともにおられる主=インマヌエル」(マタイ1,23)について考えましたが、キリストは復活のあと「わたしは世の終わりまで、いつもあなたたちとともにいる」(マタイ28,20)と弟子たちに言われて、ご自分の使命を遂行する者への励ましを与えてくださいました。主の名によって集まる共同体のうちにキリストがおいでになるという自覚を固めなければなりません。共に祈りましょうというとき、キリストが私たちの中で祈ってくださっているという心の実感を持っているかということです。祈るとき、特にキリスト者共同体の一致のために祈るとき、沢山の人が声を出して祈ることよりも、多くの人が「心を一つにして、キリストと共に」祈ることが大切だということを考えねばなりません。