5月は、聖母の月です。だからドン・ボスコは5月がとても好きでした。彼の伝記の中から、マリア様に対する子供としての愛・信頼を拾ってみましょう。

(1)ドン・ボスコの学校の避雷針
1860年7月16日トリノでピナルディの家を購入し、翌年「聖フランシスコ・サレジオの教会とオラトリオの拡張計画を立て、市役所の許可も得ました。その年の5月15日建築契約を結んだその夜、恐ろしい雷に打たれました。雷はドン・ボスコの部屋を直撃し、全てをメチャメチャに破壊し、彼自身も床に叩きつけられました。当然新しい建物を作ったとき「避雷針」を置くようにと関係者は考えました。でもドン・ボスコは言いました。「そう、聖母マリア様の御像を置きましょう」と。その御像は、現在もサレジオ会事業の発祥の地トリノ・バルドッコのオラトリオに置かれ、その子供たちを守る「母マリア」として、崇敬され続けています。

(2)ドン・ボスコの絶筆
1887年12月20日
病床についてかなりの日数がたっていました。でもこの日は特別に気分が良かったので、人に助けられて机に向かいました。そしてマリア様の御絵の裏に、会員や子供たちからお願いされていた「思い出・記念のための勧めの言葉」を休み休みしながらも何枚も何枚も書いたのでした。それが彼にとって最後の筆となりました。その中に次のような言葉が記録として残されています。
「早く善をしなさい。なぜならいつまでも時間があるのではありません。」
「もし善をすれば、この世でも来世でも幸せでしょう。」
「若者は、マリア様とイエス様の喜びです。」
「マリアよ!!  あなたは私の救いです。」

『ドン・ボスコ伝』より

主任司祭 田中次生
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