芭蕉の辞世の句と言われるのは次の句である。
旅に病んで夢は枯野を駆け廻る
10月8日の深更、八ッ時「病中吟」として、看病中の弟子に書かせたとされている。10月9日に「清滝や波にちり込む青松葉」があるようだが、前作の改作なので、病床の芭蕉の気持ちを表現している「旅に病んで」が有名なのであろう。その流れの中で考えると、気持ちの上で 「此道や行人なしに秋の暮れ」 も、十分辞世の句的だといえるのではないかと勝手に考えています。そしてその中で「道」という言葉が重く受け止められます。10月12日、51歳で永眠する芭蕉にとって「俳人として歩んだ道」との関係が皆無であるとは考えられないのではないでしょうか?
芭蕉は『笈の小文』の中で書きます。「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休の茶における、その貫道する物は一なり」と。人生最後の10年間の芭蕉の道「俳諧」に対する彼の意気込みを感じさせるものです。87~88年の尾張・伊賀・伊勢・大和・紀伊・須磨・明石遊覧の俳諧紀行の中の「道」は、ただ単に、諸国を巡っての俳諧の旅だけでなく、俳人としての人生の旅についても、いろいろと考えた旅であったことでしょう。
佐古純一郎氏は書きます。「この道は寂しさを抱きしめて、とぼとぼと、秋のたそがれの旅路を行く「道」であるが、しかしそれに尽きるものではない」。「道」はまた芭蕉が、ただひと筋に繋がっている俳諧の道でもあったのだ。多くの門人に取り囲まれていても、芭蕉はいつも「ひとり」でそこに立っていたのではないだろうか」と。
道といえば、すぐ思い出すのは高村光太郎の「道程」です。
「僕の前には道はない
僕の後ろには道は出来る……」
でも忘れてはいけないのは、キリスト様は「私は道である」と言われたこと、また初代教会の信者たちは「この道のもの」と言われたということです。
それについては、次回をお楽しみに!!