神学生のある夏休みでした。仲間5人でパーティを組み、火打山・焼山を2泊3日で連山したことがありました。自慢ではないがお金がないことではビカ一の貧乏学生ゆえ、野尻湖から徒歩で笹ヶ峰牧場に出て、火打・焼と登ってテントで1泊し、金山・天狗原山と縦走して、最後は「ささやかな贅沢を」ということで、小谷温泉に泊まって汗を洗い流す予定でした。
7月初めで残雪も多く、静かな山を自分たちだけで独占していた2日目の午後でした。登山道が雪崩れでごっそりと削られ、登山を続けることができなくなったのです。「道に迷ったら、確実に分かる地点まで戻る」のが山の鉄則です。ブツブツ文句を言いながら、下ってきた道を登り直し、見覚えのある分岐点まで戻ってホット一息入れた時は、夏の太陽が山の端に顔を隠すところでした。山中でもう1泊するだけの食料もないので下山を決定し、黙々と歩き続けて夕闇迫る中、小谷温泉の燈を見た時の喜びは、今でも忘れることはできません。(そして右代表の私が、素泊まり900円のところを、お風呂に入り、寝袋を使ってただ寝るだけだからと500円にまで値切ったことも今は懐かしい思い出です)

さて、少し唐突ですが、イエス様は「私は道であり、真理であり、命である」(ヨハネ14:6)と言われました。イエス様は、「道を教えてあげよう」とか「道の案内をしてあげる」とか言われたのでないのです。イエス様は「道」そのものだと言われたのです。したがって初代教会ではキリスト教を表す最初の呼び方は「この道」でした。使徒行録は記録します。「サウロは……“主の道”に従うものは、男も女も見つけしだい縛りあげ、エルサレムに引いてくるため」(9:2)ダマスコに向かう途中で、イエス様から召されたのです。使徒行録には「主の道・神の道・この道」という表現で8回記録されています。こう考えることができます。「キリスト」は、頭で理解する面が強調されますが、「キリストの」となると頭よりも、体を動かし汗をかきながら、目的地に向かって自分の足で歩くことが強く全面に出てきます。イエス様が十字架上で亡くなられ、迫害の中で誕生し、発展して行った初代教会では「道」の方が遥かに、自分たちが信じ、生きている「イエス様の教え」をピッタリと表現できたのです。

主任司祭 田中次生
LINEで送る