お正月とは一年の一番目の月をいい、日本や多くの国々では一月一日を正月元旦としてお祝いします。けれど昔から全世界の国々でその日を元旦としてお祝いしたのではなく、例えば中国やエジプト、ユダヤなどの国々では、別なときにお祝いしていました。
おそらく一月一日を「元旦」として始めてお祝いしたのは、ロ-マ人だと思われています。ロ-マ人は一月一日に「門と戸口の神・Janus」に祈りを捧げました。その神は「Janus・ヤヌス」と呼ばれ頭の前後に未来と過去の顔を持った神でした。そのため人々は過去を反省し、幸せに満ちた未来・新しい年が来るようにと「神・ヤヌス」に心を込めてお祈りしたのでした。英語で一月のことを“January”と言いますが、語源はこの「神・ヤヌス」から来ているのです。
アメリカでは、元旦の前夜はパ-ティが行われ、翌一日を皆でお祝いします。新聞・雑誌などの挿絵には生まれたばかりの赤ちゃんが描かれ、人々に新しい年への期待と希望に満ちた未来への思いを暗示します。その赤ちゃんのお隣には、長いヒゲをはやした老人が大きな釜を持っている姿が描かれています。そしてその老人が、過ぎ去った前の年を大きな釜で切ると言うことを表しているのです。
さて、聖書の口語訳では画期的な業績を日本のキリスト教会に残したサレジオ会員・バルバロ師は、お正月を「新しい金貨」に例えています。過ぎ去った一年は、神から与えられた一枚の「金貨」と言えよう。その金貨で私たちは何を買ったのだろうか? 落としてしまったのか? 暴飲暴食のために使ったのか? 自分と周囲の人々の幸せ・喜びのために使ったのだろうか?……しかし昨年がどうであれ、今年も神様は私たちに「新しい金貨」を下さったのだ。今年こそ、その金貨を感謝しながら受け取り、自分にとっても、周囲の人々にとっても、そして、神さまにとっても「大切な金貨」になるように努力したものだと言います。「愛を求める心」より。
そうです。今年戴いた金貨、価値ある金貨にしたいものですネ!!