「死に臨んで人の言うや良し」という言葉があります。死という厳しい現実を前にして言われる言葉には、人間の真実で、見栄を張らない本心が顔を覗かせ、立派な言葉が多いと言われます。今日は御受難の主日ですので、6時間も十字架上で苦しまれたイエス様のお言葉を考えたいと思います。
- 「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」(マルコ15:34)(マタイ27:47)
- 「父よ、彼らをお赦し下さい。彼らは自分らが何をしているのか分からないからです。」(ルカ23:34)
- 「あなたによく言っておく。今日、あなたは私とともに楽園にいるであろう。」(ルカ23:43)
- 「婦人よ、この人はあなたの子です。」(ヨハネ19:26)
- 「この婦人は、あなたの母です。」(ヨハネ19:27)
- 「私は渇く」(ヨハネ19:28)
- 「すべては成し遂げられた」(ヨハネ19:30)
十字架の上での6時間に、7つのお言葉が多いのか少ないのかは問題ではありません。それぞれが珠玉の言葉でしょう。最初のは、父なる神への祈りの言葉で、それに2つの許しの言葉が続きます。そして母マリア様には全人類を委ね、ヨハネにはマリア様に頼んでおいたから安心するように諭されます。でも正真正銘の最後の言葉は「全ては成し遂げられた」です。ギリシャ語では、たったの1語「テテレスタイ」と表現され、勝利を獲得した喜びの叫びです。例えて言えばトップでテープを切るマラソンランナーの「ヤッター!!」に通じる言葉です。「やるべきことは全て成し遂げた」のイエス様のお言葉の中に、自分の持つ全力を出し切り、完全燃焼した男の清々しさを感じます。
主任司祭 田中次生