サレジオ幼稚園の砂場で写真を撮っていたら、一人の園児が駆け寄ってきていきなり「神父様、天国ではいったい何するの?」と質問しました。突然でしたが、聖書の中のイエス様のたとえを思い出し、こう答えました。
「天国に行ったら、イエス様・マリア様たちを中心に皆で楽しくお食事しながら、お祝いするんだよ!」と。幸いに「あたし、天国に行ってマリア様に会えるのが、楽しみなんだぁ!!」と言ってくれたので助かりました。
前にも書きましたが、復活されたイエス様は弟子たちに現れた時、信じられない彼らのために、復活体のイエス様には、全然必要がないのに「パンや魚」など召し上がりました。それだけではなくペトロはカイザリアで説教した時、自分たちはイエス様がエルサレムで行われた全てのことの証人であることを、「私たちは、イエスが死の内から復活された後、食事を共にしました」という言葉で締めくくりました。
最後の晩餐の時、パンとブドウ酒で御聖体を制定された時「これを取ってあなたたちの間で回して飲みなさい。あなたたちに言うが、今から後、神の国が来るまでは、私はブドウの実から作ったものは決して飲まないであろう」(ルカ22)とイエス様は言われました。という事は、「神の国・天国」では「ブドウの実から造ったもの」を飲まれるということです。
また、イエス様は「天の国」のたとえ話の中でよく天の国を、王子であるイエス様の「婚宴の席」にたとえています。マタイ22章の「王子の結婚披露のたとえ話」やマタイ25章の「十人の乙女のたとえ話」などです。
よくご承知のようにヨハネは、イエス様の最初の奇跡が「カナの婚姻」の席で、水をフドウ酒に変えたことを挙げています。そして「このことをイエスはしるしの初めとして、ガリレヤのカナで行い、ご自分の栄光を現された。それで弟子たちはイエスを信じた」と結びます。イエス様の最初の奇跡が、婚宴での喜びの奇跡であったのは嬉しいことです。また、旧約時代、神ヤーウェとイスラエルの民との契約は、「婚姻」にたとえられ、新約聖書でもキリストと教会の間の交わりを、「婚姻の比喩」で表しています(黙19:7)。だから、私たちは教会に属するものとして天国で永遠に、「婚宴の宴」を喜ぶのです。