2008年四旬節メッセージ(続き)
「イエスはあなた方のために貧しくなられた」(IIコリント8:9)
- 聖書は、受けるよりも与えるほうが幸いであると教えています(使徒行録20:35)。愛に促されて何かを行うとき、私たちは本来あるべき姿を表します。私たちはまさに自分自身のために造られたのではなく、神と兄弟姉妹のために造られました(IIコリント5:15)。神の愛のために、助けを必要としている隣人と自分のものを分かち合うたびごとに、私たちは、愛によって命が完成すること、そしてすべてが、平和、心からの充足感、喜びという形で祝福として自らに返ってくることに気づきます。
- 施しは愛の寛大さを私たちに教えます。これに関連して、福音書の中のやもめの献金の話はさらに重要です。彼女は乏しい中から「生活費の全部」(マルコ12:44)を賽銭箱に入れました。そのほんのわずかな献金が多くを語るシンボルとなっています。このやもめは、あり余る中から、持っている何かを神に捧げるのではなく、彼女の存在を捧げます。つまりそれは、自分の全てなのです。この感動的な一節は、イエスの受難と死の直前の数日間の記述の中にあります。聖パウロの記述によれば、主は私たちのために貧しくなられたが、それはその貧しさによって私たちが豊かになるためでした(IIコリント8:9)。主は私たちにご自分の全てを与えて下さいました。四旬節は、施しの実践を通しても主の模範に従うよう、私たちを駆り立てます。
- 兄弟姉妹の皆さん、四旬節は、私たちが愛のうちに成長し、貧しいキリストご自身を知るために、施しの実践を通しても霊的な自己鍛錬を行うよう招いています。施しをするにあたって、私たちは物的な何かを差し出しますが、それは、キリストを宣言し証しすることを通して他者に分け与える、より大きな贈り物のしるしです。キリストの名のうちに、私たちは真の命を見出すからです。霊的に新たにされて復活祭を喜び迎えるために、祈りと断食と施しの実践という武具を身にまとい、四旬節の「霊的戦い」に向かう信者を、母であり主の忠実なはしためである聖母マリアが助けて下さいますように。これらの願いとともに、私は心からすべての人に使徒的祝福を送ります。
2007年10月30日バチカンにて 教皇ベネディクト16世
主任司祭 田中次生