いよいよ、「聖週間」です。4つの福音書とも、私たちが「受難の主日・枝の主日」として記念している「エルサレム入城」ついて言及しています。マタイは「群集のうち多くの者はマントを道に敷いた。木の枝を切って道に敷く者もあった。群集はイエスの前に行く者も後に従う者も、叫んで言った。『ダビデの子にホザンナ……』。イエスがエルサレムに入られると、都じゅうが大騒ぎとなり……」と記します(マタイ12:8~)。4世紀末から、過ぎ越しの3日間の典礼とともに復活の主日の直前の主日を「枝の主日」として記念しているので、このエルサレム入城は、イエスの受難の直近の出来事だったのです。だから、「十字架の道行き」の時にいつも疑問に思うのは、道行きの時イエス様を歓迎した人たちはどこに行ったのだろうということです。イエス様の十字架を肩代わりしたクレネのシモンがいますが、ローマ兵の命令で無理やりに担がされたのです。たくさんの群集の中から彼が選ばれたのは、彼がイエス様の苦しみに対して同情の気持ちが多少なりとも現れていたので、ローマ兵から選ばれたのでしょうが、不本意であつたのは確かです。

また、ルカだけが「嘆き悲しむ女たちがいた」ことを挙げていますが、彼女等はひたすら嘆き悲しんでいたのです。そんな中にあって、ご受難の苦しみの中のイエス様をファリサイ派・司祭たち・律法学者・人民たちの嘲笑と罵倒が取り巻いたのです。あのエルサレム入城の時の熱気と歓迎はどこに行ったのか、ということです。そういう雰囲気の中で、イエス様をしっかりと認めた人が2人います。一人は、いわゆる「よき盗賊・天国泥棒」といわれる一緒に十字架刑に服した一人です。「イエス様、あなたが王権を持って来られるときには、どうか私を思い出して下さい」という謙虚な信仰宣言をした犯罪人です。そしてもう一人は、マタイ・マルコ・ルカの3人の福音史家が記録する百人隊長です。「まことにこの人は神の子だった」(マタイ・マルコ)「百人隊長はこの出来事を見て、神を賛美して、『この方はまことに正しい人だった』(ルカ)と信仰告白した人です。

この2人に共通しているのは、周囲の人びとに影響されることなく “自分の信仰” を持っていることです。聖週間にあたって、イエス様の十字架の道行きを黙想しながら、”私の信仰告白” をイエス様にお捧げ致しましょう。

主任司祭 田中次生
LINEで送る