列福式の余韻が残っている今年の師走です。キリシタンの歴史から待降節を考えましょう。
1865年3月17日、キリシタン発見の日、一人の女性がプチジャン神父に「ワレラノムネ、アナタノムネトオナジ」と声をかけました。そしてつぎの二つの質問をしました。「サンタ・マリアノゴゾウハドコ?」「アナタサマモ、カナシミノキセツ(カマラ・四旬節)ヲマモッテイマスカ?」と。自分達が七代にわたって大切に受け継いできたことを質問して、神父が本物かどうか試験したのです。それは、「七代たったらローマからパーパ(教皇様)の舟が来る。その神父はビルゼン(独身)である。その時“サンタ・マリア”の御像をもってくる」でした。そして神父不在の222年間、しっかりと年間の典礼を生きることで、自分達の信仰を守って来たので、「典礼暦年の四旬節」を質問したのでした。もし3月ではなく12月だったら、「待降節・アドベントス」について質問したことでしょう。

司教が不在で司祭叙階がなく、222年間司祭不在の中、キリシタンたちは首を長くして宣教師達を待っていました。しかし、一年の典礼を暦に従って生きていたのでした。ただ待っていたのではなく、祈りながら、典礼を生活の中に生かしながら待っていたのでした。

誰を待つかによって、待ち方に大きな差ができます。同じ「友達を待つ」にしても、相手が大親友なのか、掃除当番の一人として待つのか、恋人として待っているのかによって、待ち方にハッキリとした違いになります。

忙しい“師走”ですが、キリシタンたちが「宣教師」を待っている、あの内容のある“待ち”を私達も努力したいものです。2000年前、預言者たちを通して、あれだけ“メシアを待つ”ことを教えられたのに、羊飼い達と博士達以外は、イエスさまは完全に無視されたのでした。今年は私達の心をきれいに整理した、お生まれになるイエスさまのために暖かなゆりかごを準備することにしましょう。

主任司祭 田中次生
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