列福をこころから感謝しよう。(No.2)

アイキャッチ用 田中神父の今週の糧

11月24日正午から、長崎で日本初の「ペトロ岐部と187殉教者」の列福式が執り行われました。残念ながら私は参加出来ませんでした。溝部司教さまからも「何故参加しなかったの?」とお小言をもらってしまいました。でも、参加した教会の人達から、長崎のお土産をもらったり、食べたり、譲ってもらった式典のパンフを見たりしたので、少しはその雰囲気を体験できました。パンフを見ながら感じたことの一つは、殉教者の中に「子供達」が多いことでした。1歳から10歳までが22名、15歳までが7名でした。沢山の子供達の最後の言葉も記録されていますので、彼らが1歳の子を除いたとしても、殉教を望んで、迎えたということに驚きを感じました。

聖書の中にイエス様の言葉が残されています。「あなた達は引き渡され、連れて行かれるとき、何を言おうかと前もって心配することはない。ただそのときあなたたちに示されることを語ったらよい。語るのはあなた達自身ではなく聖霊である。」(マルコ13:11) これは当然口だけではなく、態度で、行いで語ることを含んでいます。イエスさまは、「迫害に耐える力・殉教するための力」を私達に約束してくださったのです。

ペトロはイエスさまの御受難の時、怖くて三度もイエス様を否定しました。マルコの聖書では「神罰もいとわないと誓って」(14:71)イエス様を否定しました。復活されたイエスさまにお会いした後も「弟子達はユダヤ人を恐れて、自分達のいた場所のどの戸にも鍵をかけていた」(ヨハネ20:19)のです。そのペトロと弟子達が変わったのは、聖霊降臨後でした。聖霊の力を受けて、ペトロはエルサレムの人々の前に立ち、自分達の信仰を告白しました。その日3000人が洗礼を受けたのでした。(使徒2:1~41)

私達が忘れてならないのは次のイエス様のお約束です。「あなた達は悪いものであっても、自分の子供達に、良い物を与えることを知っている。まして、天の父が自分に求めるものに“聖霊”を下さらないことがあるだろうか」(ルカ11:13) 列福された188人も「自分の弱さを認め、聖霊の助けを天の父に求めて、初めて殉教の栄冠をえたのでした。

主任司祭 田中次生

おすすめ記事